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宮田香里
「味明」には10種の仮名

 当然、漢字だけでは文章は組めない。「小町・良寛」を始めとした味岡伸太郎かなシリーズでは五種類の仮名を制作した。今回の「味明」には、それを、さらに増やし、筆記体に近いものから、活字の復刻やモダンな仮名まで、10種の仮名をセットした。これだけのバリエーションがあれば、あらゆる用途に使えるだろう。


 
10種の骨格に10種のウェイト



 味岡伸太郎のかな書体10種に、それぞれ10種のウエイト、100種のファミリー完成。これだけのバリエーションが揃えば、すべてのテキストを満足させ、すべての明朝体と組み合わせることが可能です。日本語組版に、これまで以上に豊かな可能性が広がります。



ひらがなによって組版の表情は決まる

 日本のタイプフェイスデザイナーは、漢字・ひらがな・カタカナに加えて、アルファベットまでデザインしなくてはならない。欧米ではアルファベットだけデザインすればよいのである。
 博文館8ポイント明朝体活字の種字を作り、精興社の活字を完成させ、東京日日・朝日・読売の各新聞社や三省堂などの活字制作を手がけた君塚樹石の言葉として「仮名を書くのはむずかしいが、漢字仮名交じり文において仮名のしめる部分が多くなっている。そこで多く使用されるひらがなの肉付き、ふところなど、ひらがなのスタイルをまず確定し、それを基本にすると漢字のスタイルはおのずからきまってくる。つまり漢字仮名交じり文の場合、ひらがなのスタイルによって、そこに表現される感じはがらりとかわるほど、仮名の影響は強い。」とある。
 活字の種字彫刻時代には、漢字とは別に、特に優れた彫師に依頼して仮名を制作し、組み合わせて使用することは珍しいことではなかったという。
 漢字は、字数も多く、ある程度の分業も可能であるが、仮名には、特に優れたデザイナーが求められた。

「草」

 平安時代中期には、三蹟と呼ばれる、小野道風、藤原佐理、藤原行成が輩出され、現代にまで影響を与え続ける、かな書道の黄金時代を迎えた。
ひらがな、カタカナは、漢字をそのまま使用した万葉がなの草体化や字画が省略されて生れ、万葉がなの草(書)体は「草の仮名」と呼ばれた。
 「草」は、かな書道完成期の書体を、いわゆる明朝体風のエレメントではなく、筆文字の風合を残したまま仕上げてみたもの。「草の仮名」から「草」の名とした。
様式化が進んだと思われがちな明朝体だが、そのエレメントは意外と筆文字と大きく離れてはいない。逆に、活字化(様式化)された活字楷書体の仮名と明朝体の漢字の方が違和感が大きい。それは、組版してみればわかるだろう。


草/EB

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「行」

 藤原行成は、三蹟の一人として和様書道の確立に貢献し、平安時代の仮名書の完成者とされている。行成を祖とする世尊寺流(青蓮院流・粟田流・御家流)から数多くの書流が分派している。
 江戸幕府が公用書体に御家流を採用し、また寺子屋でも御家流を教えるようになったことから、江戸時代の書流はほぼ御家流一系となり庶民にも広まった。歌舞伎の勘亭流や寄席文字などもこの書流から派生した。明治時代になると、築地活版の書体にも影響を与え、日本の書風の原点ともいえる骨格を持つ。
 1984年に行成の書風を味岡伸太郎かなシリーズの一つとして発表していたが、今回、新たに「行」として、「味明」に合わせて、30年ぶりにリデザインした。


行/EB
行/EB
「良」

 江戸時代後期の禅僧「良寛」は、唐の「懐素」や「小野道風」の「秋萩帖」などから学び、あたたかく、人間味あふれる自由奔放な独自の墨跡を数多く残した。その評価は現在も高い評価を受けている。写植用仮名書体「良寛」は、その墨跡から骨格を求めたもので、独創的でありながら、仮名本来の伝統的な形を持っている。
 しかし、現在使われているひらがな・カタカナの字体の全てが良寛の遺墨で見つかるわけではなく、字体が異なる、いわゆる変体仮名とされる字体も使われている。それらは、良寛の他の字体を参考にして創作したものである。今回発表の「良」は、「良寛」を「味明」に合わせて、30年ぶりにリデザインした。


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良/M
「築」「築C」

 明治6年東京築地に開かれた長崎新塾出張所、後の東京築地活版製造所で作られた活字書体を「築地体」と呼んでいる。秀英舎の「秀英体」と並ぶ活字時代を代表する二大活字潮流の一つである。
 築地活版製造所は歴史の中に消えていったが、その影響は現代のタイプフェイスにも大きな影響を与えている。その築地体から二つの骨格を選んだ。一つは「築」と今回名づけたもの。写植時代の写研の「OKL」やモリサワにも同様な書体があり、その後も度々復刻が試みられている。残る一つ「築C」は、さらに古い築地体の骨格を持つ当時の活版印刷物から採字したものから復刻した。「C」は「Classic」の略。


築/EB
築/M

築C/EB
築C/M
「民」

 桑山弥三郎氏の「レタリングデザイン(初版1969年)」では、初号活字〈新宿活字〉と紹介されている。その中では「現在活字として売られている書体のなかで最もデザイナーに人気があり、新聞・雑誌広告の他パンフレットなどのタイトルに好んで使われている。この書体にはほとんど同一に見えるたくさんの似たものがある。」と記している。
 そして、佐藤敬之輔氏の「ひらがな上」では、特太みんちょう体見出し用初号、錦精社となっている。写研では、民友明朝の名で発表され、「築地活版の初号活字の系譜である民友社初号活字を写植化した」と説明されていた。
 「民」は、主に新宿活字と呼ばれたものを元に復刻した。


民/EB

民/M
「秀」「秀L」「秀V」

 「築地体」と並ぶもう一つが秀英舎の「秀英体」である。秀英舎は後に大日本印刷となる。「秀英体」からは、三種類の骨格を選んだ。
 「秀」は川村●(金偏に良)太郎設計の太みんちょう体・見出し用初号から。「秀L」は講談社の大字典の索引に使用されていた(印刷・大日本印刷株式会社)、三号あるいは、18ポイントからの復刻。「L」は「Legacy」の略。「秀V」は古い印刷物から集字した手製の活字見本帳からの復刻。おそらく、秀英舎の三号だと思われる。「V」は「Vintage」の略。「秀英体」は書的に見れば癖の強いものだが、それがかえって人気の理由なのだろう。


秀/EB
秀/M

秀L/EB
秀L/M

秀V/EB

秀V/M
「弘」

 「弘道軒清朝体」は明治初年、東京赤坂区長であった神埼正諠の着想で、文字は書家小室樵山、父型は小山田宗則が鋼鉄に直接彫ったものであると、記録には残されている。
 男らしさと、力強さを持った、日本の活字書体の名作の一つだった。時代と共に使用されなくなっていたが、1984年に写植用仮名書体「弘道軒」として、その骨格を活かし清朝体から明朝体にリデザインして、味岡伸太郎かなシリーズの一つとして発表した。
 それを、今回、新たに「弘」として「味明」に合わせて、再びリデザインした。


弘/EB
弘/M