上海日記

5月11日
 10時45分定刻に到着。約2時間のフライト。検疫も思ったほどでなく、マスクをしているのは検疫官のみ。迎えのアテンドと合流、タクシーで市街へ。
 真っ直ぐな道はどこまでも続く。山もなく、やはりここは大陸だ。両側の木立の間を自転車にリヤカーで坂道を上がっていく姿に、懐かしさと同時に中国に来たという実感。しかし、市街に入ると自転車は少なく、自動車が多い。TVでおなじみの自転車が大挙して走っている光景は昔のものになりつつあるようだ。
 高層ビルが建ち並び、中国の高度成長に目を見張る。日本の建築に比べ外観がいささか派手で個性を競いあっている。しかし、タクシーから走り過ぎるビルを眺めている内に、その色彩、その個性の主張すらもが統一された時代という無個性なものに見えてくるから不思議である。短い時間に建築され、時代に拘束された様式に統一されたためなのか。それとも何らかの統制があるのかと勘ぐってしまうのは体制に対する私の偏見なのか。
 下町の看板の赤や青や黄色のけばけばしい看板は、良くも悪くもやはり中国ならではのものだが、新しい商店の看板も同じような色遣いなのにけばけばしさが消え、トーンが統一されている。中国も無意識のグローバルスタンダードに蝕まれているのだろう。
 低層ビルの窓からワイヤーと棒が突き出され、洗濯物がほしてある。滴りおちる雫をよけながら歩道を歩き、家や店先に机を出し、鍋をつつき、麻雀やトランプを楽しむのが古くからの上海の生活感だ。それも急速に姿を消しつつあるという。街の歴史を残しながら新しいライフスタイルを求めることの難しさ。その点では、我々も同じ悩みの渦中にいる。





 上海土産に印章をと思いつき、さっそく明代の中国式庭園「豫園」近くの商店街で探す。 ─さすが上海きっての観光地、人で溢れ、中国情緒にも溢れ、自転車やリヤカーはここではまだまだ主役の座から退いてはいない─ 試しに彫ってもらい、やはり土産屋ではだめかとあきらめかけるが、少しはましな一軒をやっと見つけ数人分を完成させる頃には日が暮れかかっていた。彫刻代は安かったが貴重な時間を使ってしまった。無計画な行動はいつもこれだ。今日はもう「豫園」はあきらめるしかない。
 交通マナーは驚くほど乱暴だ。赤信号でもかまわず往来する人と車とオートバイと自転車、そして、ひっきりなしのクラクションにいささか辟易する。レストランでは大量の料理に加えて、喧嘩しているかのような大声の会話。雑踏の騒音がそのまま持ち込まれ、食べながら話すなと教え込まれた日本人には食事中もパワー全開を求められているようで息の休まる時間がない。この猥雑さが中国の活力の現れといってしまえばそれまでだが対抗するにはいささか当方はパワー不足。恐らく慣れるまでにはこちらが参ってしまうだろう。

5月12日
 昨日、美術館指定のホテルに案内されるが、その後タクシーで移動中に美術館から「ホテル」を間違えたとの電話。「中国ではありそうなこと」とはアテンドの言。そのため、今朝から再びホテルの移動。なんとホテルは美術館の隣、設備も昨日のホテルとは格段の違い。しかし、美術館手配のホテルなのにチェックインで保証金を要求される。支払うと直後に不必要だという。そういえば、昨日のホテルでも半額の保証金を求められたが、チェックアウトではそれが全額だと追加は要求されなかった。


 美術館は多倫路文化人街のゲートを潜ると目の前にある。この通りにはかつて魯迅が住み、10万人が住んだ日本人租界の面影が残る風情のある町並みが続く。折から、希石名石を商う屋台が両側に建ち並び、その背後には昔のままの建物で面白そうな骨董や喫茶を商う店が軒を競う散歩道である。


 今回の展示を企画した多倫路現代美術館は上海市の運営で、やはり古い建築を改装し2003年にオープンした美術館である。
 オープニングセレモニーは午後3時。それまでの時間で上海博物館に出かける。膨大な量とその精巧な作りに感心するがその完成度に馴染めない。満ち足りない美、あるいは割り切れない奇数の美といえばいいのか、あるいは「わび・さび」の美で代表される日本の美意識に還暦までドップリ浸かった根性は歴史の膨大な蓄積を前にしても些かも揺らがない。むしろ膨大故に心に響くものは技術や完成度ではないことを改めて確信する。
 とはいえ、比較的小さな青銅器、年代が古く素朴な彫塑、金衣の隷書。膨大な篆刻などには中国独自の美意識がうかがわれ、やはり素晴らしい。駆け足で一巡し、表に出ると大気汚染がひどい。100メートルも離れていないビルが靄がかかったように霞んでいる。昨日感じた高層ビルが皆同じに見えてしまったのは、あるいはこの汚れた空気が影響していたのか。





 多倫路に戻ると美術館はすでに開館していた。オープニングセレモニーに併せてひっきりなしに観客が訪れている。展覧会名は「2009上海新水墨芸術大展」。英語表記は Contemporary Ink Painting いわゆる山水に代表されるような作品はない。「海外墨韵」「水墨・抽象」「粉墨─当代女性水墨画」の三つのサブテーマによる展示で構成され、様々な視点から現在の Ink Painting を紹介しようという企画である。私は数名の外国人アーティストの一人として、海外で活躍する中国人アーティストと共に「海外墨韵」に参加した。なお、共同企画の朱岶膽芸術館では、上海の作家による「上海新水墨基地特展」「水墨創造・感悟都市」が開催されている。
 多倫路現代美術館1階が「海外墨韵」の会場である。オープニングとあって3時にはすでに会場は熱気に包まれている。美術館もやはり上海だ。この2日間体にまとわりついて離れない騒音がここにも溢れている。それはオープニングセレモニーが始まっても変わらない。場内の騒音に負けじと挨拶のトーンも一段と上がり、場内のボルテージは高い。
 2階が「水墨・抽象」で、3階が「粉墨─当代女性水墨画」の会場である。この二つの企画は中国全土からの選抜だ。「当代女性」では、なぜ女性を特別視するのか疑問を感じたが、中国では共働きが当たり前なのに不思議に女性アーティストが少ないという事情も耳にする。3階のペントハウスからは眼下に古くからの民家、その後ろに高層ビルを望み、美術館の存在そのものが上海の今を表現しているかのようだ。
 ディナーまでの束の間、多倫路からの狭い路地を散策。哀愁に浸っていると突然の強い雨、雨宿りをかねてレトロな喫茶店でなみなみのエスプレッソを頂く間に上海特有の天気で雨はすっかり小降りになっている。外は肌寒く昨日の蒸し暑い34度の暑さとは様変わりだ。
 定刻にディナー会場に入るが、なんとすでに始まっている。上海名物の大歓声に、今日はテーブルごとに立ち上がり、幾度となく繰り返される乾杯が加わっている。まだ2日目というのに早くも食傷気味の中華料理が出るわ出るわ、そして極めつきは「臭豆腐(チョードウフ)」。豆腐を漬け物の汁や石灰に漬けて乳酸発酵させたのが臭豆腐でそれを小さく切り揚げたもの。上海の名物料理だという。口にいれて参った。口中がトイレになってしまった。因みにこの中華レストランは魯迅の名作「孔乙己」に登場する紹興レストランの上海支店。中国パワーに負けそうで、ディナーの後は中国マッサージでリフレッシュすることにして2日目が終わった。

5月13日
 晴れ。たった2日だけなのに長い間太陽を見ていなかった気がする。昨夕の雨が空気中のゴミを洗い流したのか、今日の上海には薄いが青い空がある。早朝の多倫路周辺を散歩する。朝8時、多倫路にはすでに人が溢れている。路地のあちこちにで料理が炊き出され、次々と若者たちが朝食を買い求め歩きながら食べている。年配者は家で朝食をとるが、少しでも寝たい若者達はこうして電車の中や路上で朝食を済ませている。路上の机を囲み朝食を取り終わると机を清掃し、そのままそこで露天を始める年配者もいる。上海の路地は実に逞しい。
 美術館主催のレクチャーが午前午後で2回計画されていた。会場の朱岶膽芸術館には9時40分到着。定刻までの時間を芸術館裏の魯迅公園で時間を潰すことにした。それが今日の計画を全て変えてしまった。
 公園に入って間もなく四阿から聞こえてくる中国の伝統音楽に誘われる。そこにでは年配の男達が胡弓や琵琶のような楽器に小太鼓、銅鑼、鉦を手に手に演奏していた。その前に立った老人が一人詩を吟じている、次々と吟者が変わり延々と演奏が続く。いずれも見事な声で、それまでどこか馴染めなかった中国が急に豊かな文化の薫りを持って近づいてきた。レクチャーの時間は過ぎている。室内で難しい話を聞くよりこちらのほうが解放されて面白いと不参加。
 気がつけば公園のあちこちから音楽が聞こえてくる。あるグループは年配の女性達だけでコーラス、その隣では老いも若きも一つになってフォークダンスや社交ダンスのようなものを踊っている。なんとも大陸的でおおらかな光景だ。発展を続けているのは上海の南部で来年の万博はさらその先で行われ、北部のこの辺りはまだ古き良き中国が残っているのだ。
 ここが魯迅公園のゆえか中国らしい本がほしくなり街に向かう。タクシーには谷村新二の「昴」が流れている。妙にこの歌は中国に似合う。滔滔とメロディが大陸に染み渡っていく。さきほど不覚にも中国は凄いとレクチャーをさぼってしまったが、なんのなんの日本の歌もやるもんだと一時の愛国心。
 幸い古典や美術・書道の専門店が簡単に見つかる。さすが中国、充実している書道関連の専門書が驚くほどに安い。ふと目にした画仙紙のコーナーでも安さにつられ一山購入。
 予定外の仕入れで持ってきたトランクにはこれを入れるスペースがない。ホテルに一端戻り美術館が用意したランチをすませ、骨董街で古いトランクを買うことにする。東台路古玩市場は見通す限りの骨董店が並ぶ。しかし、模造品も目につき良い品はそれほど多くはないようだ。トランクを探す間に好みの木像2体と木活字を見つけてしまう。店主によれば木像は明代の物、木活字は清代だというが勿論真贋は解らない。良い物ではないが目的のトランクも購入する。
 歩いて行けるとアテンドに勧められ上海旅行者の殆どが立ち寄るという「新天地」に向かう。古い町並みが再現され大勢の観光客で賑わっていたが、入り口付近の店のエクステリアで青島ビールで喉を潤すだけにする。そうそうに切り上げ「豫園」に向かう。


 「豫園」は今日も人で溢れている。明代の四川省の役人が両親のために18年の歳月をかけて造営した庭園には希岩と豪華絢爛の楼閣が所狭しと建て連ねられている。富の極端な集中が生み出した病的ともいえるこだわりは圧倒的で、好き嫌いの感情を超えてこれはこれで大変なものである。土産店では売り子の大声に選ぶ余裕を奪われ菓子を袋一杯買ってしまった。これで明後日の春夏秋冬叢書の編集会議は中国風になる。


 再び美術館主催のディナー。その後は最後の公式行事、遊覧船で上海の夜景ツアーだ。初日に感じた高層ビルへの不満や偏在する上海の矛盾は夕闇と無数の煌めきがすっかりかき消している。あたかもSF映画で宇宙船から眺める一場面のように、庶民には別世界の上海の繁栄がゆっくりと流れてゆく。乗船場は大変な混雑でこのツアーの人気は沸騰している。観光客の多くは地方から訪れる中国人。例えは悪いが、誘蛾灯に虫が群がるようにこの輝きに惹きつけられ中国全土から人が集まり、ますます上海は膨れ上がっていくのだろう。
 1階ホールの小ステージでは若い女性マジシャンのショーが始まっている。ありふれた手品とすました手振り身振りが観客との間に微妙な間を作り出している。上海の人口1,300万人。それに常時300万人が訪れ、1,600万の人々がこの煌めきとそれが作り出す影の中で生きている。


5月14日
 9時ホテル出発。今日はフライトの時間まで市内の現代美術を見て回る予定。まず、民族紡績工場跡地を利用した「莫干山路(もーがんしゃん)50号」、正式には「春明芸術産業園」に向かう。ここができたのは1973年。以来数々の雑誌にも紹介され、上海のアートシーンを語るには欠かすことのできない地区だという。
 近づくと数件のギャラリーが軒を連ねムードを醸し出している。ニューヨークのソーホーの上海版と想像していたがゲートを入ると大分想像とは違うことに違和感を憶える。ゲートは自由のムードを醸しながらも何らかの力によって管理されていることを想像させる。ギャラリーや作家のアトリエやアーティス ト自らが販売するためのスペースなどが一体に点在している。アートだけでなく、デザインやファッション工房、さらには画材店の看板も見かける。その印象を一言でいえば美大のキャンパスのようである。
 朝がまだ早くオープンしていないスペースが多い。上海でもっとも高層の「上海ワールドファイナンスセンター」の高層階 79階から93階を占める世界一の高層ホテル「パークハイアット上海」のアートとインテリアを先に見ることにする。もちろん昨夜、遊覧船で眺めた摩天楼を代表するビルだ。
 真下からでは太陽と空が眩しくて最上階まではっきり見ることができない。空港並みの厳しいセキュリティを受けてビル内に。エレベーターの横に掛けてあった黒一色の中国人作家の作品は、1950年代のアメリカの抽象表現主義、特にフランツツ・クラインに影響を受けた作品であることが見て取れるがセンスはいい。先ほどの「莫干山路50号」にそのアーティス トのスペースがあるというので楽しみである。各フロアに現代作家の大作が展示されているがそれほど目新しいものでもなく。私の好みとも違う。


 大気汚染がひどいのが残念だがさすが上海位一の高層ビルからの眺望は素晴らしい。このホテルの宿泊費は3〜5万円。今回私たちのために美術館が用意したホテルがツインで6,000円である。それでも欧米人も多く宿泊しビジネスホテルではない。最初、美術館が間違えたホテルはツインで3,000円、これが日本レベルでのビジネスホテルとなる。しかもどちらも朝食つきだ。「パークハイアット上海」は所詮庶民には高嶺の花。大気汚染の下で住まずにすむという優越感で、空調の完備された高見から下界を眺めれば大気汚染のひどさも一向に気にならないだろう。
 それにしても、中国(といっても上海しか知らぬが)の貧富の格差はひどい。「パークハイアット上海」の豪華さはその陰を見ないことで成立しているのである。前日に下町を見てしまった私にはその特権的豪華さに馴染めず落ち着かない。
 再び「莫干山路50号」に戻る。到着すると、観光バスから続々人が降りている。ここはすでに「新天地」と同じく上海観光のコースに組み入れられているようだ。アートが一般の人々の間に受け入れられることは勿論否定されることではない。しかし、観光客相手に健全なアートシーンが形成されることはないのもまた事実。
 ここではアーティス トとギャラリストの役割の分担が不明確だ。アーティス トは作品創りに専念し、ギャラリーはその中からコレクターに推薦できるアートを選び、展示し、販売し、アーティス トに還元する。このシステムが機能することが不可欠なのだが、ここにはそれを感じない。正式名の「春明芸術産業園」にはアートよりビジネスという匂いが漂っている。「莫干山路50号」は上海にアートシーンを形成するための試みだろうが、出発点の間違いは後では修整が効かない事が多い。
 先ほどホテルで見たアーティス トのギャラリーが開いている。ここでみると訴えるものがない。数を見るとアメリカ絵画への憧れだけで、アートでもっとも重要なオリジナルがないことが見えてくる。それは必ずしも形式が似ているというだけではない。
 中国は日本が東京オリンピックと大阪万博で高度経済成長をとげたと同じような時代を迎えている。それも驚くようなスピードとスケールで アートも同様で、日本がその頃 必死に欧米の現代アートを追いかけたいた と同じような時代を迎えているのだろう。
 「莫干山路50号」で感じたことは、今回の短い上海での滞在中に何度も感じたことだ。グローバルスタンダードの名のもとで、自国の最も重要な価値観、美意識を我々はあまりにも簡単に捨てていないか。それがビジネスには最も効率が良いのだろう。しかし、その結果生み出される弊害の精算は必ず近い将来に求められる。勿論それは日本も例外ではない。
 駆け足の上海の旅は終わった。砂埃を巻き上げ猛スピードでタクシーは空港に向かう。1年後に迫る万博に間に合わせようと道の両側は殆どが工事中。また熱くなり窓を開けて走ったため喉をやられてしまった。定刻より30分も速く名古屋に着陸。検疫では咳きをしないように我慢しなくては、私はグローバルスタンダードという悪性のインフルエンザに感染していないことを証明しなくてはならない。