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文字の優先性
ロゴタイプについて語る前にデザインにおける文字の役割について確認しておくことは無駄ではない。もちろんその中にはロゴタイプもふくまれている。デザインを成立させる造形上の要素は基本的には二つしかない。一つは写真・イラストレーション等を含んだ意味でのイラストレーション。他の一つは、文字つまりタイポグラフィである。イラストレーションはイメージを伝える役目を、そしてタイポグラフィはメッセージを伝える役目を果たすことで、魅力的で、説得力のある表現が完成する。 サントリーミュージアム「天保山」で、「カッサンドル展 巨匠の知られざる全貌1901〜1968」が開催された。その巨大なサイズに圧倒され、現代にも通じる視覚コミュニケーションの原典にふれた感がする展示であった。ことさらその作品群のタイポグラフィには興味を覚えた。カッサンドルのポスターの中で文字は単なる伝達の機能を越え、重要な構成要素となっている。文字への関心はついに自らのタイプフェイスを制作することにまで到達する。1927年には初めてのタイプフェイス、ビフュール体を発表。その後多くのタイプフェイスを制作する。欧米ではタイプフェイスデザインと他のグラフィックデザインを一人のデザイナーが制作することはめずらしいことではないようだ。又、あまり知られていないようだが、イブサンローランのマークやロゴタイプもカッサンドルの手によっている。カッサンドルの作品は常に文字へのこだわりを見せているが、1950年代には、文字のみで構成されたポスターも制作している。デザインとは、一言で言えば「ある内容を伝達すること」につきる。カッサンドルの例のようにイラストレーションを使用しないデザインは成立するが、文字のないデザインは成立しない。文字の重要性をカッサンドルは次のような言葉で語っている「ポスターはイーゼル上で制作される絵画とは異なる。文字の書かれる位置は好き勝手で、図柄の上に斜めに、あるいは水平に重ねられたり、さもなくば都合のよい隅に割り込まされたりした。こういったことはもはや通用しない。時が経つにつれて、文字の優先性はますます強く主張されるようになってきた。」(1926年)70年も前の言葉とはとても思えない。今だ、カッサンドルの言葉の意味を理解しないデザイナーのいかに多いことか。 民族の歴史と美意識の形 前置きが長くなってしまったがロゴタイプに話を戻そう。ロゴタイプは言うまでもなくデザインの中でその主体の存在を示すとともにタイポグラフィの要の役目を果たす重要なエレメントである。ロゴタイプには、まずその形に魅力があること、次に、認識し易いことが要求される。その中には他と読み間違いをおこさない為の配慮も当然含まれている。そして、その業種をある程度表現していればなおさら良い。しかし、このことは、文字の形の魅力、読み易さよりも優先される必要はない。その役目はシンボルマークにゆだねるべきである。 言うまでもなく、ロゴタイプの制作は決められた文字、つまり会社名、あるいは商品名の文字が持つ形に始まり終わる。そして文字の形には、どこの国の文字であれ、民族の歴史と美意識が秘められている筈である。我々はそのことにに対して最大限の敬意の表現をしなくてはならない。当たり前のことのようだが、これが中々難しい。 字画の省略、あるいは単純化 このような事を前提としてここ数年のロゴタイプを見渡すと、字画の省略、あるいは単純化という一つの傾向があることに気づかされる。 日本タイポグラフィ協会編集の日本タイポグラフィ年鑑1989では、約1900点の出品作の中から4点のベストワークが選ばれている。その中に3点の日本語ロゴタイプがある。デザイン手法はそれぞれ違うが、そのいずれにも、文字の省略化あるいは単純化が試みられている。ところが、その年のローマ字のロゴタイプのベストワークではそのような処理はなされていない。これはロゴタイプデザインでは見逃せない傾向である。つまり、ローマ字はその文字そのものがすでに省略化、単純化の作業を終えていることに比較して、日本の文字、特に漢字は未発達な状態で、そのままでは強さをともなった魅力ある形、つまりロゴタイプを作りにくいということを我々に伝えている。日本語ロゴタイプよりもローマ字ロゴタイプをデザイナーが好むという理由の一つだろう。字画の省略や単純化は確かに魅力ある方法である。その採用により、日本語ロゴタイプがローマ字ロゴタイプに負けない魅力を持つことが可能になり、日本だけで使用するロゴタイプでありながらローマ字のロゴタイプが多いという矛盾を解決する糸口になるだろう。 普遍性を持つロゴタイプ 日本語のロゴタイプは、その年あたりから、あきらかにそれまでとは違う、省略化あるいは単純化されたロゴタイプが増えている。ところが最近、その傾向が進み、可読性に疑問を感じるロゴタイプも現れてきた。文字は、たとえば「あ」という文字は「あ」と多くの人が認識する範囲でしか「あ」ではない。その一線を越えてしまえばもはやそれは何の意味ももたない記号でしかない。字画の省略や単純化というその手法の採用には、鋭い感性とともに日本の文字の伝統への配慮が重要な条件となる。私はロゴタイプの省略化、単純化の一つの指針として、古典の行書、草書に帰ることを常に心掛けている。そのことが、普遍性をロゴタイプ与える近道だと考える。 ところで、最近そのような傾向が、ローマ字のロゴタイプにも見られるようになった。その一例がアルファベットの「A」を「Λ」と書くことである。「Λ」はワープロでも簡単に入力することのできる程ポピュラーな文字であり、これはあきらかな誤植である。「Λ」はローマ字の母体となったギリシャ文字で「ラムダ」という文字である。ちなみにローマ字の「A」はギリシャ文字では「α」または「A」(アルファ)である。語の並びで多くの場合「Λ」と書いても「A」と判断できる。しかし、そのことが誤植を許す理由にはならない。
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