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入河屋豊橋湊町店

所在/愛知県豊橋市湊町136
デザイン/ 味岡伸太郎
施工/ 山本スペースデザイン
竣工/ 2007年
構造規模/ 木造二階建て
豊川に架かる豊橋を渡ると、そこは旧東海道吉田宿の西の入口湊町。宿場一の賑わいを見せた通りも今は閑かな佇まいである。
 古く奥三河大野の赤引の絹糸を、静岡県三ヶ日町(現浜松市)岡本神戸初生衣神社で織りあげ、祭礼の後、湊町から伊勢神宮へ奉納されていた。この祭りが御衣祭りである。祭礼の行われた田町(湊町)神明社の前を通り過ぎた最初の辻に、おそらく戦後間もなく建てられたであろう瀟洒な木造2階建てがあった。この建物が使われなくなって、長い年月が過ぎさっていた。
 この建物を再生し、湊町と赤引の糸で結ばれた三ヶ日入河屋の新店舗とする今回の計画では、図面で指示する建築から、現場で職人と手造りする空間造りに挑んでみた。梁、柱の柄穴跡もそのままに、可能な限り古い材の使用。古い壁に穴を空けただけの下地窓。陳列用の家具、照明、陶皿も自ら手作りした。壁は全て土、床は石の乱張り、天井は既設の杉竿縁を梁、柱と色合わせして使用。シャープでクールな建物とは一味違う、人肌の温もりのある空間が誕生した。
入河屋の創業は明治18年。信号をはさんだ一軒隣は、慶応元年創業の織九の「麩」の工場&店舗がある。はからずして、創業100年を越える老舗が並ぶこととなった。幸運なことに2軒の改装デザインを担当する事ができた。
 今回の計画は一軒の民家の改築だが、二軒の老舗が同じ通りに並ぶ事で、湊町の再生をも秘めているだろう。













三ヶ日の家


敷地は、東が三ヶ日町としては比較的交通のある道を隔てて緑の丘陵が広がり、南には木造三階建。西はまもなく建築が予定される分譲の住宅地。北も地内の道路を隔てた住宅地である。北が約13m、南が18m、南北が14mの変形の敷地である。この敷地に立ち、最初に思うのは、南に立ちはだかる、3階の住宅からの視線と、それが遮る太陽の恵みにどう対処するかである。
 この住宅はこの計画の直前に他の設計士が計画を担当しており、基本設計の提案まで行われていたが、その計画は南の三階建の住宅へ密着し、そのことの配慮が殆ど考えられていないプランであった為、施主との意見が合わず、一旦白紙に戻り、改めて計画を担当することになったのである。
 その為、南の日照つまり庭の部分の配置がまず考慮された。この敷地のように東西にやや長い場合には駐車場を最も車の入れ易い北に設けると南北の距離が縮まり、結果的に日照の確保が難しくなってしまう。その為、南に庭に駐車場を設け、建物は東西に最大限長く配置することでその問題を解決した。そして庭の駐車場は石張りとすることであじけなさを解消することにした。
 平面プランは全ての居室は南に面し、室内の廊下は全て北側に配置した。暗くなりがちな北側廊下は1階から2階まで通しの大きなガラスを使用することで解決している。北側道路とのプライバシーと大ガラスの熱の損失は磨りガラスとペアガラスの使用で快適な空間となっている。ペアガラスは建物の主要な開口部にも使用している。
 主要内外の開口部には引き違い戸を採用し、可能な限り建具は引き込み戸としている為、開いた時に戸が邪魔になることもなく、大きく開く事が出来る。
 1階天井及び内部建具には竹の網代を使用し、床板や棚板のあちこちに大工が試みた自然木のパッチワークも効果をあげている。
 外構には比較的低価格で入手した花崗岩をスライスした板、約1000×2400mmを使用している。

所在
デザイン
実施設計
施工
竣工
構造規模
建物面積
延床面積
静岡県引佐郡三ヶ日町
味岡伸太郎
長谷川英克
山本スペースデザイン
2002年
木造二階建て
133.56m2
1階/70.02m2、2階/63.54m2

主な外部仕上げ
屋根
外壁
軒裏
駐車場

亜鉛メッキステンレス瓦棒葺き
杉板下見貼り押縁
杉野地板
御影石乱張り+砕石洗い出し

主な内部仕上げ

天井

内部建具

ラスボード9mm/下地シックイ塗り/わら聚落/100角タイル
1F 網代貼り/2F ラスボード9mm下地WP塗り
ブナフローリング/畳/コルクタイル
網代貼り












音羽の家


ゆるやかな山裾を南東に向かって造成された新興の住宅地である。南西が道路に面し、他の面は隣地の15m×15mの正方形の敷地である。夫婦と同居の娘さん1人の三人家族が住む。
 敷地の中央に3間×3間の中庭。その回りに囲むように巾2間の1階と、その上に西-北-東へとL型に2階をのせたプランである。中庭に面して全ての部屋が配置され、当然、主要な開口部は中庭に向かって開いている。1階の各部屋からは隣地の住宅は屋根すら見えない。ほぼ完全なプライバシーが保たれている。文字通りこの住宅の中心の中庭と1階床のレベル差は10cm、室内からはほぼ同レベルに見える、そのため室内と中庭とその向い側の部屋とには一体感が生まれている。それぞれの部屋は大きなものではないが、庭に向かって開かれ、住宅地の中でありながら常に、障子やブラインドを使わず開口部を全開することが可能で、物理的な広さ以上の広がりが出たようだ。
 比較的大きな開口部を採用しているが、主要開口部には木建具にペアガラスを採用し、全ての木建具を外付けとし、戸のかぶりも大きいため。雨水・風の対策も断熱性も非常に高い。一端入った水もそのまま外部に排出できる。建具の形状、位置を統一し、1・2階の建具粋を一体化することで視覚的に整理することが可能となった。
 屋根は階高をおさえ、中庭への日照を増やす目的で瓦棒葺きの、15/100勾配を採用。1階屋根は中庭を水下としたことにより、樽木と軒天が外部に向かって大きく開け、外観を特徴付けている。その樽木と軒天の下、木戸をくぐると前庭、中庭へと続いている。前庭の左には待ち合い、右に曲がり玄関をくぐり、正面木戸を抜けるとそこには躙口、そして茶室がある。

所在
デザイン
実施設計
施工
竣工
構造規模
建物面積
延床面積
宝飯郡音羽町赤坂台
味岡伸太郎
長谷川英克
山本スペースデザイン
2001年
木造二階建て
100.89m2
1階/88.29m2、2階/50.22m2
主な外部仕上げ
屋根
外壁
駐車場
軒裏

亜鉛メッキステンレス瓦棒葺き
杉板下見張り(Cuウッド)
砕石洗い出し
杉野地板
主な内部仕上げ

天井


ラスボード9mm/下地シックイ塗り/松ツキ板/C.L仕上げ/100角タイル
松ツキ板/C.L仕上げ
砕石洗い出し/から松フローリング/畳/100角タイル







住宅建築 2001年8月号より

豊橋という場所
愛知県豊橋市は,愛知県の南東部に位置し,東側が静岡県と接する人口約37万人の都市.東三河と呼ばれる地域に属している. 
味岡伸太郎さんはこの豊橋に1949年に生まれ,以来ここを拠点に活動を続けてきた.
その活動範囲は,現代美術,書,グラフィックデザイン,タイプフェイス(印刷用文字),建築と,実に多彩である.しかしそれらの多くは,自発的に始めたというより,偶然頼まれたことがきっかけだった.

建築を始めたきっかけ
味岡伸太郎さんの活動開始は1970年代.23歳で書の展覧会に出品している.書とは言うものの,紙に墨で書くのではなく,油絵具を塗った上から釘で引っ掻いた作品だった.そしてすでに始めていたグラフィックデザインと共に現代美術の活動も始めていった. 
建築を始めたきっかけは,静岡県引佐郡の「四辻坂」という建物.4軒並んだ建物が,いずれも1・2階に店舗,3・4階は住宅が入るというプログラムで,デザイン的な統一性を持たせたいが設計士には頼みたくないという要請で全体を企画,統括することになった. 
その時は二人の建築家に設計を依頼したが,この建物がきっかけとなって幾つか話が来るようになり,ならばもっと本格的に踏み込もうと思ったらしい.それ以後,他分野と平行しながら,実施設計を担当してくれる設計者と組んで,住宅を中心に設計するようになった. 
味岡さんは住宅の設計において,初めのうちは相当な部分を組む相手に任せていたが,最近では構造的なことから細かな納まりまで,ほとんど自分で決めている.
今回紹介した「音羽の家」では,施工を担当したヤマモトスペースデザインの長谷川英克さんが実施設計を担当.この味岡・長谷川コンビで,現在,新たな住宅を設計中だ.
ちなみにこの岡崎市にある会社は,材木屋から原木を仕入れ,製材,乾燥まで自分たちで手配しており,それが建物全体のローコスト化につながっているという.また,この家に入った大工さんが実に腕が良く,味岡さんのやりたいことに,気持ちよく応えてくれたらしい.こうした大工さんが腕を発揮できる現場が減っている昨今,この竹内伸冶さんという大工さんに少しでも多くやりがいのある住宅を造ってほしいと,味岡さんは思っている. 

美術とデザイン
さて,たとえ幾つかのきっかけがあったとしても,美術とデザインという両分野にわたる活動を継続しているのは,なぜだろう. 
「普通デザイナーが美術をやるというと,デザインの仕事の延長線上での美術をということになるんでしょうけど,僕は最初から両方やっていて,しかも美術とデザインは違うと思っていました.かつて山口長男(やまぐち・たけお/画家)にお会いした時に,美術という斜面とデザインという斜面がつくる山の高みに嶺があるから,その嶺を歩けと言われたのです.デザインをやっていくことで,美術が社会との接点を失わずに済むし,逆に美術をやっていくことで,デザインが大衆に迎合しなくて済む.つまりデザインと美術の両方をやれと言われたのです.初めの頃は皆にどちらかにしろと言われたんですが,両方を継続しているのは,山口長男にそう言われたことが大きな理由です.元にそういうことがあるのですが,今のようにかかわるジャンルが広がったのは,人材も少なく,経済基盤の小さな地方に住んだことも理由の一つです」
それでは,両方をやることで,お互いに何か影響はあるのだろうか.
「特に最近思うのですが,美術をやっているから,建築やデザインで形を遊ぶ必要はないという意識が強いです.造形という意味では美術のほうがレベルが上だし,同じ芸術だとしても建築は形を競う分野ではないと思っているから.人が住むために土地と風と光を有効に使うことを考えたいと思うだけで,形をあまり考えないようにしています.建築家は建物の中にそれを求めるでしょう.でも彫刻を知っている僕らからすれば,造形的にはものすごくひ弱に見えます」

自分を入れないことと,地域性
ならば,それぞれのジャンルにおいて,共通して考えていることは,何かあるのだろうか.
「両方について言えるのは,自分を入れないということ.個人性をどうしたら捨てていけるかということが,共通していますね.近代の美術における造形思想というのは,いかに自己の主観を表現するか,いかに自我を追求するかということが目的だった.それはそのまま西洋近代社会の確立と共通し,人間と自然の闘い,人間が地球の自然に対して欲望をそのままにぶつけることを許してきたという思想に繋がるわけです. 
しかし現代の世界の動向を見てみると,たとえば地球環境の破壊であるとか,1949年以降の現代の美術を受けて確立した現代美術でいえばジャクソン・ポロックがアル中による自動車事故で死んだり,マーク・ロスコが自殺したりと,作家自体が破壊されるようになってきた.それによって,自我や自己を追求するだけでは,超越できない何かがあることに気づきだしたのです.
僕がこれまでやってきたのは,文字をデザインするときには,文字という漢字文化圏の民族が発明した造形の歴史や美意識に助けられてデザインしているのです.
美術では,地層ごとに違う色やマチエールを持つ土というものをそのまま並べて提示することで,地球の歴史に助けられて表現しているわけです.
建築にしても,自分が何を造りたいかではなく,その土地に行くことで,どういう家にしたいかを考えるわけです.音羽の家では,あの場所ではコートハウスしかないだろうと思ったし,大岩の長屋では,敷地の傾斜に向かって水平に屋根を伸ばして,傾斜に沿って床を下げていこうと思った.ですから,自分のやっていること全てに共通の造形思想があるとすれば,できるだけ自分を入れないということです」自分が何かを表現したいと願うのではなく,そこにある力を借り,それをできるだけそのまま美術や建築という表現に変えること.味岡さんにとって,その借りる力が特定の場所から得られるものであるからこそ,結果として,地域性の表現につながっているのだろう. 
「以前は鉄骨やRCで設計していたのに,最近はどういうわけか,自然に木造で建てることを考えてるんですよ」この言葉に,それが表れている.

地域からの情報発信
味岡さんは昨年の5月,グラフィック社より,1冊の本を著した.『神々の里の形』というのがその書名.奥三河地方に伝わる花祭りを,山本宏務氏の写真によって伝えている.もちろん装丁も本文に使われている文字も,味岡さんがデザインしたものだ.
また現在,味岡さんとその仲間が発行者となって『春夏秋冬叢書』という季刊の地域文化誌の出版を準備している.
「別に地域から情報を発信しているつもりはないんです.ただその美しさが,地域だけでなく全国的に通用すると思っているから,それを表現したいというだけで.それが直ぐに中央から出せるものであればそうするし,そうでなくとも,積み重ねることによってきちんと残るものになるのであれば,自分たちで出そうと.普段仕事をする仲間も,たとえばタイプフェイスの仕事であれば自然と東京の人間が中心になる.特に地域に留まる必要はありません」
まず地域性ありきではなく,結果として地域性につながっていること.それこそが,ごく自然で嘘のない,地域性の表現となりうるのだろう.(文責=住宅建築編集部)





大岩の家

愛知県豊橋市大岩町
デザイン/味岡伸太郎

実施設計/石原信義
施工/豊成建設株式会社













入河屋 尾奈店

静岡県三ヶ日町下尾奈
デザイン/味岡伸太郎

実施設計/石原信義
施工/豊成建設株式会社









CABIN

愛知県岡崎市
デザイン/味岡伸太郎
実施設計/住工房 鈴木達雄
施工/(株)モミヂヤ