小町・良寛の制作プロセスを聞く
タイポグラフィックス・ティー 1984年7月号より
味岡伸太郎+タイポグラフィックス・ティー編集部

編集会議
まず新書体「小町」を作るきっかけというか、発想の源を教えて下さい。
味岡
短歌を組んだデザインをしてみたくなりまして。それで書体を捜したら、短歌に適した書体が活字の中にあるかといろいろ捜したのだけれど自分の納得したものが見つからなくて、仕方が無いので、ひらがなだけで済むのだから、自分で作ってしまおう、というのがそもそもの初まりなんです。
編集会議
その調べたものというのは、活字を含めて写植まで、現在にあるものはすべてということですか?
味岡
勿論、使えるかどうかという視点で調べましたので、活字だとその書体が結構なくなっていることが多いでしょ。それを復刻することも新たに作ることも考えてみたのですが、もう描いちゃったほうが早いような気がしました。
編集会議
何故、既成の書体では合わないと思いました。
味岡
何というのか、丸くまるくかたまっていってしまう、字が。短歌を組むには歌の流れみたいなものが出てこない。四角い枡の中に文字を入れるという書体のもつ規制のせいで、伸びやかさがなくなったのかどうかは判らないけれど。何といっても日本の字は一字一音です。特にひらがなは。だから、一字一音で単独して読めるというのが、字の設計にも影響して、独立して設計してしまったのではないかという気がします。しかも縦にも横にも組めていくようにと設計しているから、どうしても文字と文字とのつながりを重視するよりも、その文字一つひとつが単独で見られるように設計されているように思える。そうではなくて、一字一字として見た時に、あるバラツキがあっても次の字へ、「書」でいうなら「気脈」というのかな、そういうものが通っているようなもののほうが、和歌のように詩(うた)を詠(うた)う場合には文章がつながっていく。英文のようにシラブルがかたまって見えたほうが、より和歌なんか組んでいくには都合がよいのではないか。
編集会議
分かち書きみたいに──。
味岡
日本語の場合には、分かち書きの必要性はあまり認めないけど、文章の中に漢字が入り、ひらがなが入り、カタカナが入るという風に組まれる以上、それだけで可能性は高い。今まで日本語の欠点だといわれてきたところを全部長所に変えようかと思いました。この「小町」を作る時もそうだけど、日本語にいろんな書体が含まれているのが欠点だと言われてます。きれいに組めないとか。だけど、そのいろんな書体が入っていることが可読性をあげるのに非常に効果をあげているのではないか。漢字、仮名、その中でカタカナとひらがなは違うという前提条件に最初からたって仕事を進めた。漢字は楷書のデザイン、ひらがなは草書のデザイン、カタカナというのは万葉仮名のある部分を採ってきた楷書に近い符号、文字というより符号に近いもの。そういう三つのものが、まとまり毎に順番に入っていくことによって、可読性があがると考えました。だから今まで採っていた文字の設計の方法論は、間違っていたというのではなく、無視していいのではないか。そうすることによって新しい可能性がある、と。
編集会議
なるほど。
味岡
今までの方法論ではいろんな人がやってきたし、それをこれ以上よくすることなんて不可能な気がします。
編集会議
話が前後しますが、味岡さんのところには写植機がありますけど、初めから写植書体にしようとしたのですか。それとも手貼りでもいいと考えた?
味岡
手貼りでやればいいぐらい。
編集会議
味岡さんには今度出る「良寛」という書体があり、それは良寛の書の中からいい字を採って設計し直していますね。そういう意味で「小町」にも手本みたいなのがあるのかしら。
味岡
あると言えば、ペン習字の手本とか、書の教則本とか。「小町」は名筆とか、いわゆる古筆ではなくて、現在一般に使用されているひらがなの、鉛筆書きされているような字体というのを基本に置きました。だから、平安期の古筆まではいかず、とはいっても現在の活字までいかない。その中間の部分を何かと活字化しようと。その時点ではそんなことを考えていました。
編集会議
いつ頃ですか。
味岡
一昨年ぐらいです。それが今度「良寛」、と続いていくことになっているのですけど、良寛を作ってみてから「小町」の制作時の頃を考えてみると、臆病だったんです。「小町」を作ってみて、筆の流れをだしたって活字になるじゃないか。それなら古い名筆というのも活字になるじゃないかということになりました。だから「小町」がそもそも始まりになった訳です。

編集会議
「小町」というネーミングは?
味岡
小町は実在した人かどうかも判らない人です。実際のモデルのない、そして女手といわれたかなだからそんな名前を付けたのです。
編集会議
最初に解決しなくてはいけなかった最大の問題は何でした。
味岡
自分が素人だったことです(笑)。僕は専門のタイポグラファーでないし、タイプフェースを作ろうと思ったこともなかった。だから、何にも判らない訳。かといって、今までのたとえば佐藤敬之輔先生の本を読んで、もう一回勉強し直して作ろうなんてとんでもない。だから二書体出来上った今頃になって、泥棒見てから縄をなうみたいに、さあ理論的にも整理してみようかということになってます。だから、最初からタブーを作らないようにしているから、常識的にこうしなさいみたいなもの、そういう制約が何もない。文字を作る人から見れば、随分いい加減な方法に見えるでしょうね。
編集会議
道具も面相などの筆を使わず、サインペンを使うとか、一度描いた文字をコピーしてから、その文字を切り貼りしながら修整していくとか聞いているけど。
味岡
最初のうちはサインペンだったけど、ファミリー化していく段階で遂に筆を使っちゃった。それとファミリー化は下描きせずに直接描く。そして描き直すこととコピーの切り貼りを併用しながら文字を作っていく。
編集会議
その実物が有ったら見せて欲しいんだけど。
味岡
残念だけど全て捨ててしまって残っているのは完成品ばかり。この前、エリック・ギルの原図見たら、結構きたない。だから原字ってこんなもんでいいんだと思って、もう一度サインペンに戻そうか、原図を倍の四インチにして、と思っている。そんなところに余分な時間かけるのは勿体ない。出来上った原字が工芸品的に美しいものであることを、全然求めていないし、そこで仕事していくうちに思ったんだけど、ある級数以上の文字を写植を使って利用するのは、デザイナーの文字を作る能力の欠陥ではないか。そんなものはデザイナーそれぞれが自分で書けと言いたい。写植とか活字なんて、大体において本文で組むとか、せいぜい見出しに使うものであって、それをポスターに使えることを写植に望むのは、デザイナーの傲慢でしかない。リ・デザインするか自分で描けなかったら、デザイナーとして資格が云々される(笑)。
編集会議
試作の「小町」には、どれぐらい時間がかかりました。
味岡
一ヵ月ぐらいかな。カタカナも作ったんだけれども満足するところまでいかなかったので、ひらがなだけですが、短歌だから、カタカナは出てこないので、その時点で終了ということにして、タイポグラフィー年鑑に応募した。その後随分たちましたから、年鑑にのっているものと今のものを比べると、書体が違うのじゃないかと思うぐらいです。
編集会議
文字盤化するために違っていったのですか、それともそうしたかった?
味岡
文字盤と最初のものの間に二年ぐらいの時間があり、その間にやはり欠陥が見えてくる。今でもそうなんだけれども、これでいけると思って試し文字盤を作ってみるとまだ駄目で、これはいつまでたってもキリがない。それをどの辺で止めるか。また僕の中には完成した文字がいいのかどうかという疑問がまだある。
編集会議
その場合の欠陥とはどんなところ?
味岡
文字の形そのものとか黒みだとか、傾き、センターが通っているかどうか。その辺ですけど、一方ではある程度のバラツキがあってもいいと思うけど、他方広く一般に使って貰うにはその部分は欠陥として残るから直さなくてはいけないという気もする。そこを自分の中でまだ完全に解決しきっていない──他のデザインの仕事でもそう思うのだけど、手を入れて直しに直していったものより、欠陥をはらんでいって出来たもののほうが新鮮だといつでも思う。たしかにタイプフェースは特殊なものだから違うのかもしれないけれど、出来るならば欠陥を内包したままでも使用に耐えるようなものって出来ないかと思っている。僕は誌面を見ていって、すべてが均一に見える文字って逆に読みにくいのではないかと思っている。
編集会議
同感だな。このあいだ有る人から現在、最も良く使われている写植文字の組み面テストしたものを見せてもらったけれど、日本語の場合、余りテクスチャーを揃えるとかえって読みづらく、欧文のそれとは逆の感想を持った。
味岡
だからそれを欠陥と見るか個性とみるかのどちらかの意見を採るかによって分かれてしまう。タイプフェースを作ることになって、自分でどこに基準を置くか、まだとっても言い切れないです。
編集会議
年鑑応募の時点と文字盤化の時点での直しというのはどの点だったのですか。
味岡
文字盤化が決まった時点で、まず中明タイプの文字をひとつ作って、それをいろいろ直し、後ファミリー化を一緒に進めてしまい、それが出来た時点で部分的な直しをやりました。最初の「小町」の骨格はいじっていない、まあ何文字かはいじりましたけど。というのは、最初は32級から38級ぐらいで使用することを前提にして作っており、筆のハネとか細かい部分が沢山残っていた。写植の文字盤化すると、どうしても12級ぐらいを目途にし、特に「小町」は本文組を意識していたので、小さくした時のそういうハネはゴミに見えてしまう。たとえば「ね」とか「は」「ま」「ほ」なんかは、大きく変っていますね。12級ぐらいだと、潰れて汚く見えますから。
編集会議
書き文字風であっても、それがタイプフェースとして成立する、そのメカニズムは何だと思いますか。
味岡
たとえば文字を描けば、センターが通るというのは当り前のことでしょ。だから「小町」の対極にあるように見えるタイポスがセンターを出すのに楽かと言われても、どちらも同じでしょう。僕は思うのだけれど、「小町」「良寛」は創作じゃなくてアレンジしたものだと。タイポスはお手本がない、全く新しい文字を創作しているから、逆に難しいんじゃないですか。
編集会議
見た目の文字の重心というのは、正方形の中で考えられていたから、見た目通りにその文字の真中に重心というかへそがあるけれど、味岡さんの作った文字の重心はその中心に見えない。だから四角の中に入れるとアキが均一でないから、いやに右下に寄っていたりするのだけれど、それが文章で組まれるときちんとなる。その辺のポイントは何なのか、何かあるんじゃないかと思うのですが……。
味岡
それこそ目で見た通り(笑)。もうそれしか言えないみたい。理屈でやっているのじゃないから。でも描いたものを文字盤化する時、センターをいじくったというのは何文字もありません。最初の原字で殆んどセンターが出ていた。だから逆に四角の中に文字を入れるから、センターがでないのじゃないか。四角に入れると、右側空いてる、左側空いてると思ってしまうのではないか。たとえば彫刻にしろ建築にしろ、見た目に安定したものは少々妙な形でも倒れないという。あれでいいんじゃないか。だから四角というのを、過剰に意識しているんじゃないか。僕の文字は、四角一杯に描いていない。始筆と終筆だけは仮想ボディにはみ出るくらいにしてますけど、基本的には字が大きく見えても小さく見えても、読むには一向に構わないと思っています。
編集会議
その辺のところを割り切るのが味岡流なのかな。
味岡
難しく方法論を立ててやっていくとしたら、タイプフェースの仕事は命縮めるような気がする(笑)。
編集会議
でも「書」というバックグランドがあって初めてできたのでしょ。
味岡
でも僕は「書」への入門を断わられている。何故なら、書には流派があって、かえって入門すると規制されてしまうからおやめなさい、とある書家に言われました。たしかに書は好きですけど。


編集会議
そろそろ「良寛」に移りたいのですが、元々良寛の書が好きだったんですか。
味岡
好きでした。歴史の中に何人かの好きな書家がいるのだけれど、その中で活字化しうる可能性がある人というと、良寛ぐらいしかない。活字から見れば良寛でさえ相当はずれているけれど。あと好きな人は白隠禅師とか明治の鉄斎。活字にするには個性が強すぎて怖しい……。その中でかろうじて良寛。
編集会議
その良寛の字をどのように採っていったのですか。
味岡
まず良寛の字を臨書するようにして、サインペンでフチを書いて墨を入れてという順序ですね。エレメントに関しては「小町」に合せていく。基本的には明朝体に合うバリエーションにしようとしています。僕の発想にエレメントを幾つにして文字作ろうということはないから、始筆と終筆は同じにする程度ですが、それぞれの個性で大きさや強さが違ってきます。基本的によく似ている筆の入り方をしようということです。
編集会議
「小町」と「良寛」を比べてみると、活字のにおいを強く残している「小町」と書き文字により近い「良寛」という風になっていますね。タイプフェースにする場合、相当悩んだところがあったと思いけれど。
味岡
その辺もタブーがないからね(笑)。全然悩んでないんです。良寛よさそうだなあ、良寛作ろうじゃない、そんな程度です。考えずに書いちゃおう、駄目だったらやめよう、そのくらいです。だからあまり考えもなく、時間もかけずに、基本的な叩き台──中明のひらがなを三日間ぐらいで作りました。どうも今まで作ってきたタイプフェースは万能であれと思って作ってきたんじゃないか。縦書き、横書き兼用、大きくしても小さくしても使える、どんな内容にも合う──そんなことは考えられない。たとえば広告の仕事にしても、一億の人全部を相手にしてはやっていないし、非常に絞られた層に向かって表現されている。なんでタイプフェースだけが万能でなくてはならないのか。苛酷な条件を背負って茨の道を歩けと要求されなくちゃいけないのか。そういうことを要求されている現状に腹が立つ。すごい狭い範囲で使われるようなものでも、そういう書体が本当に欲しいと思って、しかも描く技術がある人がいたら、意外と簡単にタイプフェースって生まれるのじゃないか。だから、使用範囲は極力狭めてしまっていいのではないか。それがもし広く使われるようなことがあれば、書体にとって非常に幸福なことだと思います。それを初めから求めないことのほうが文字を作っていくにはいいと思います。
編集会議
よくタイプフェースは主張するなとか言われてきましたね。
味岡
極論言うと、主張するな、個性がないほうがいいと言われるのは、個性と悪癖とを間違えているのじゃないか。癖として残ったものは排除しなくてはいけない。今言われている、空気のように水のようにというのは、一つの比喩であって、個性を殺せなんてだれも言っていないと思う。しかし、基本的な技術に欠けている人たちが作ったタイプフェースには、そういうことは言われるでしょう。昔、活字を直か彫りしていた人たちはそれをするまでに相当の修業を要求されていた。基本的なことは完全に身につけた上で直か彫りする作家の個性というものを出していった。これは大事なことだと思う。基本がなくてタイプフェース・デザイナーというのは問題がありすぎる。あまり個性というのを、みんなが大事にしてあげすぎるのじゃないか。そのレベルまで達していないものは無視していいし、相手にする必要がない。極論かもしれないけれど。
編集会議
味岡さんが自分は素人だというのも、その辺と関係しているわけね。
味岡
僕が素人のレベルで甘んじようと思っているのではなく、気持として素人であるというのは捨ててはいけないということなんです。だから自分にこういう書体が欲しいという気持がなくなったら、もう作れないということです。
編集会議
すると、依頼されてタイプフェースを作るという気にはなれない。
味岡
一度タイプバンクの林隆男さんから依頼されたのですけど断わってしまった。それの一番の原因が、いまさらそれを僕が描くことはないと思ったからです。たしかに書けばそれなりのものが出来たかもしれないけれど、自分の欲求がそこまでなかったし、漢字まで含めて五千字という持続力が僕にはないと思ったし。
編集会議
現在までの二書体八シリーズで二千字を越す制作字数があり、書き直しを含めるとその1.5倍ぐいらいでしょうから、字数の問題ではなく、味岡さんの書きたいものかそうでないかが、ふるいをかける原点なんでしょうね。
味岡
そうですね。けれども、現在筆のタイプの文字ばかり描いていますけれど、それにしか興味がない訳ではなく、たとえば今描いてる文字のドット文字化なんて非常に興味あるし、タイポスみたいな新しく作る書体とか横組用のものにも当然興味があります。しかし現状では、他に優秀なタイポグラファーの方も沢山いる訳だから、自分のやりたいことと欠けている部分が合致するものが筆を使った文字だから、それを作ってみた。別にそれに限定している訳ではないけれど、それが一番有効ではないか、ただそれだけの理由です。だから逆に、味岡という人間は筆のタイプの文字しか作らないのかと思われることは、とても厭だし、書家だと思われるのはもっと厭だし。それはさっき言った素人ということと同じ意味において。






小町・良寛文字盤化へのプロセス
タイポグラフィックス・ティー 1984年7月号より
林隆男+タイポグラフィックス・ティー編集部

編集会議
やはり林さんにお話を聴く場合は、どうしてもタイポスの話からお聞きすることになりそうです。タイポスは何年前に作られたのですか。
昭和30年の半ば頃ですから、丁度20年ぐらい前ですね。明朝の漢字に対して筆の仮名というのは合っていないのではないかと思い、漢字の要素で仮名を作ったらどうかと考えた訳です。その当時というのは、活字はまだ大丈夫か、いやもう駄目だというのが、両方綱曳きしている頃でしたね。最初は伊藤勝一さんと桑山弥三郎さんでやっておられて、そのグループに僕が入った頃も活字で行くのか写植に移行するのかの方向がまだ出ていませんでしたね。だけど僕は当然写植派だから、写植にすべきだと言いましたがね。その当時を考えると、タイポスを僕がプロデュースしたというより、タイポスのグループが小さいながらも一つの組織になっていて、それを認識はしていなかったんだけれども、それぞれの分担がはっきりしていたのです。確かにオーバーラップする部分もありますけどね。そこで文字を世の中に出していくことに関しては、自然に僕が中心になって体を動かしていった。その中で文字盤を作ろうという方向で皆なの意見が一致した。
編集会議
タイポスの文字の作り方を初めて見た時、相当なショックというのがあったのではないですか。
僕自身はグループに入る前からモダン化されたスケッチみたいのはしていましたから、それ程驚くようなことはなかったですね。だから素直に仲間と……。
編集会議
あるエレメントを抽出して、それを利用して文字を作り出していくというのは、それなりの予見があったのでしょう。
作る時にはあまりそういうことを意識してませんからね。作った結果を分析、整理してみたら、そうなっていた。ま、整理しやすいような発想があって作っているから、形が分析風に整理が出来る訳ですけど。
編集会議
タイポスが出た後、ある書体ブームが起って、現在までつながってきているところがあると思うのですが、その間によくなった部分と落ちていった部分があると思うのですが。
タイプフェースはただ作ればいいのではなくて、まずどういうものを作るかを考え、それを制作し、文字原型──文字盤とか活字とかインレタ、コンピュータのフロッピーに入っているものなどの、いわば商品化、そして販売、普及。それらを包含して書体を作って世の中に出していかなければならないのですが、タイポスが出ることによってある部分が欠落してしまった。つまりタイプフェースを作っている時は制作者のものなのです。ですが、世の中に出ると使い手にその書体を預ける訳で、自分の手の届かないところで使われることになる。タイプフェースとは本来そういうものです。しかし、写植文字の場合、写植機メーカーとの関わり合い無しには、文字盤化できないし、また販売できないわけですね。写植文字以前には活字メーカーというものが存在し、使用する人間は自由に文字を選べたわけです。ところが写植文字の世界では写植機字体に互換性がない為、デザイナーや編集者は自分の使いたい文字を捜すのに大変苦労している、メーカーとしては需要の多い書体を各社が独自で開発しなければならないという、ある意味で無駄な労力を費やす結果を生んでしまった。これが悪い面かも知れませんね。いい面では、ナールが生まれたり、書体のコンテストが生まれたりして、新書体が生まれてくる土壌ができたことでしょうね。悪い面をもう少しはっきり言うと類似を生む土壌や使いたくても使えないという土壌も生みましたね。本来のどういう書体がいい書体で、どういうものを作るべきかということが考えにくい状態が育ってしまいましたね。
編集会議
具体的にはどういうことですか。
味岡さんが言っているのだけれど、捨てるべきものと拾うべきものが的確になされなかったということで、文字を作るための考える余裕がなくなった。他人がああやっているから、僕もという、大勢の文字デザイナーが束になって同じ方向、例えば文字枠いっぱいに四角っぽく作る世界が前進してきた。だから味岡さんが素人ということはタイプフェースの世界を見る余裕があったから、「小町」とか「良寛」が生まれてきたのだと思いますね。
編集会議
林さんが味岡さんの今度の書体を初めて見たのは何時頃ですか。
一昨年、大阪でやったタイポグラフィ協会の総会の終った後に見せてもらいました。その時、タイプフェースとしていけるのではないかと思いましたが、二、三癖のある字がありましてね。「も」とかね。それに味岡さんが今のようにタイプフェースを本格的に描けるとは思わなかったし、書家だと思っていたから、一筆描きして四角の中に入れてきたんだと思い、文字盤化するための作業を我々のほうでしてもいいですよなどという話をしていたのだけれど、その後年鑑に応募するまで一年間ぐらい、その作品を見ていなかった。でもそういう話をしたから何時かはと思っていた訳。
編集会議
年鑑に応募された時の審査員の評価は高かったのですか。
非常に評価が高かった。並の評価ではなくて、「うまい」同時に「これはいい」と審査員全員の評価が高かったんです。小塚昌彦さんは「これはいい、うまい」と言うので、これはいけるという確信みたいなものが生まれましたね。しかし、初めて見た時のままのものが出てきたから、あれで満足しているのかな、という気持も少し残りましたね。それが昨年の暮、片塩二朗さんと話しているうちに味岡さんの作品を何とか文字盤化しようという話になり、翌日電話したら、すぐ「いいよ」と返事もらいましてね。
編集会議
林さんが味岡さんの「小町」をタイプフェースにするためプロデュースしようと考えた動機は何ですか。
タイプフェースはいろんなものがあったほうがいいということと、もう一つは『窓ぎわのトットちゃん』にタイポスが使われて、その編集者から組版に使われた文字に関する投書がかなりあるということを聞いて、印刷物に対する文字の存在理由というのがぐらついてきていた訳です、水のように空気のように、無味乾燥がいいというのがね。そこで文字として主張しなくてもいいけれど、文字がもっている文字の姿や形、それによる文字組の間(ま)などによって文章をより生き生きさせるとか、そのためには、今までより少し文字が無味乾燥の空気っぽくなくてもいいじゃないかな、空気だって、とても色々といいにおいがありますしね。そういうものにも可能性があるのではないかと思い出していたのです。タイポスというのは、一字一字はそうでもないのだけれども、組んだ時の印象というのが他の書体ときわだって違う訳で、それが反響となって返ってきたこともあって、文字がもう少し前面に出て主張してもいいんじゃないかと思ったのです。それで味岡さんに何時やってもらおうか、と考えた訳です。実際に世の中で筆文字が使われ出したのは、浅葉克己さんがやられた『夢街道』だろうと思いますが、最近では悪いものでも筆文字であればという傾向も出てくるほどですよね。最近は一過性のものと見ていたのですが、社会的背景とか華美なものの氾濫とかで、地味なものや古いものが使われる条件が割と揃ってきたのではないか。ならば、いいものをポッと出せば、一過性でなく残っていくのではないか。しかも多様化が望まれていることを考えると、味岡さんも言っているように、文字をかなで多様化させることが最重要だと僕も思うからね。
編集会議
それでリョービから「小町」というタイプフェースを出すことになる訳ですが、リョービとしてはどう考えたのですか。
年鑑を見た人からこの文字、何とかならないかと言われていた。それとリョービが本明朝体のファミリーとして四つのシリーズを出したことで、その四つをカナで膨らましてもらおうという基本的な考え方が出たことですね。
編集会議
林さんと味岡さんの間には、どういうやりとりがあったのですか。
殆んどないんですよね。三言か四言ぐらい言うという感じです。持っているものは深いし、技術的なものもかなりありますから、何も言わなくてもできるのじゃないかと思っていましたからね。それに最初のものからは二年経っていますので、冷静に見れるようになっていて、これこれの文字に癖があると言うだけで、それが直すとなれば一気呵成に直してもらえましたしね。後のほうのことですが、味岡さんが印字したものを見た時に、たとえば字に「寄り引き」があって上にあがりすぎていたり、下がりすぎていることがあるような場合に、一言か二言言うぐらいですね。そういうと味岡さんは、すでに8シリーズ作った後だったので、それを全部、縦横印字をして「寄り引き」を全部チェックしてくれましたね。だから、ある文字が黒いというと、全文字の黒みをチェックしてみたりね。大体二、三日のうちに、電話なり印字したものが届いたりしましたね。
編集会議
「小町」がそうやって出来あがって、それから「良寛」をということですか。
最初は「小町」の四シリーズだけを考えていたのですけれど、今年春のタイポグラフィ協会の総会後の立話中に味岡さんが「良寛」作りたいというから、どうぞと言ったのですよ。僕も十年ぐらい前から同じことを考えていましたから。味岡さんなら絶対できると思いましたね。
編集会議
今までのお話を伺っていると、とてもスムーズに進行したと思うのですが、それには林さんのタイプバンクという存在が大きかったと思いますので、タイプバンクの沿革を少しお教え下さい。
タイプバンクの設立の目的というのは、タイプフェースのアイデア、制作、商品化、販売、普及ということですけど、使いたい人が自由に使えること、それにデザイナーが主体的に作りたい文字を作ること、この二つが根本になりますね。お金も力もないデザイナーが大掛りに作って、これが俺のものだと叫んでも、まわりが見むきもしてくれないだろうから、まず作るのが不可能ですしね。だから自主開発としては、かなのようなものから開発するのが速いし、日本字の多様化にとって正当だろうと思いますしね。何せ日本文のかなの割合というのは全体の60〜70%を占めていますから。だから今まではその機会を待っていた訳です。
編集会議
待っていたというのは、デザイナーからの持ち込みを待っていた?
もちろん持ち込みもそうですし、自分のところでも作ってもいいと思っていました。ただそれまではそういう状況が熟するまでの準備運動をしていた訳で、文字を売るためにセールスに歩いたり、メーカーのものとしてデザイナーのやりたい文字を作らせてもらったり、メーカーのものをインレタにするとか、いろんなことはやってました。だけど、全く純粋な意味でプロデュースしようとしたのは、今回の味岡さんの書体が初めてです。それがスムーズにいったのは、やはり味岡さんの蓄積された知識と技術、それに文字を描くという仕事を進める時の考え方というのが非常に合理化されているというか、非常にスピードアップ化に貢献してますね。もちろん感性もあり、タイプフェースデザイナーではないという利点もあります。僕のほうとしては、かなというのがプロデュースをし易い状態に置かれていることと、それにふさわしい漢字が現われたことですね。しかも四つのファミリーとして出てきて、評判がよかった。それにリョービのシェアは小さいけれど、一応基本的な書体というのが揃ってきていた。もちろんリョービのためということではなく、どの漢字に合わせたらよいかと思って選んだのが、リョービの本明朝体だった。そういう諸々のことが、スムースにいった原因でしょうね。
編集会議
今まで持ち込みは多いのでしょうね。
全くないですね。力がないというか、書体をやっている人も少ないですからね。たしかにコピータイプなんかは、その前の段階に桑山弥三郎さんが『グラフィック・エレメント集』という本に載せようというので、デザイナーのところのに声を掛け、桑山さんのところに皆なが月に一回集まって批評しながら書体を作っていった。それに対して問い合せがあり、商品化していったという、後追いのケースはありましたけど。そうした意味でも最初のケースですね。 
編集会議
今回、味岡さんという、いわばタイプフェースデザイナーとして存在していなかった人が、自分のタイプフェースをもつことができたという点からいっても大きいし、業界にとっても意義がありますね。タイプバンクはだれにでも戸が開いている訳ですから、今後タイプフェースを作る人へのサジェスションがあればお願いします。
まず、いい文字をデザインすることですね。そういうものを作らないと、僕は商品化のお手伝いはできませんね。いい文字とかいい書体とは何かというのは難しいですね。書体にも本文組を目的としているものや見出し組だけを目的にしているものがありますね。また本文組を目的としているものにも広告に多い横組短文にふさわしいとか、小説のような長文にふさわしいなどと色々ありますね。それらに共通していい書体というのを一口で言うとしたら品格ですかね……。でもそれだけではいい書体になりませんからね。たとえば味岡さんの今度の書体、とてもいいですね。品格もあるし、うまさもあるし、古さもある。それでいて技術的にも今風のエレメント、たとえば筆の入りや終りの形、ファミリーとして四つの書体がシステマティックに形成されているなど8シリーズに統一された技術的思想というものがちゃんとある。そのために新しさもある。おそらく「小町」のLとMは小説などの長文にも合うと思いますね。たぶんこれで組むと文章組が呼吸をし出すと思いますね。この書体が単にいい書体だけでなく創作性の高い新書体かどうかは多くの人の判断を待たなければなりませんが、たぶん書体を作る人にも使う立場の人にも潜在的にこのような書体の欲求みたいなものがあったのではないかと思いますね。それを味岡さんが具現化した。そこに新書体というべき要素があり、私がプロデュースする意味もあるといえますね。それとデザイナーが書体を世の中に出していこうとする場合、当然力がないのですから、各写植メーカーが考えているような書体を僕らが商品化してもあまり意味がないでしょうね。
編集会議
味岡さんが短歌に使いたいから作ったみたいに、自分が使ってみたいものを作ることでしょうか。
ただ専門のタイプフェース・デザイナーになりたい人は自分で使う機会は殆んどありませんから、その人達がどういう発想をするのか。しかも味岡さんも言うのだけれど、短歌のためだけでは文字盤にはならない訳で、ある幅がないと、開発費をかけて宣伝をして売っていくことができませんからね。たしかに最初の発想は絞り込んだほうがいいし、ここで使いたいものを作るんだということは大事ですね。その発想でスケッチしたものを僕が見て、これは世の中でいけそうだ、採算も多少とれそうだという感じがもてれば、後はもう少し汎用性を出すために、過去の経験からアドバイスできるでしょうね。ただ文字としての面白さは減るでしょうけど、使いやすくなるでしょうね。
編集会議
今回のようなケースが増えてくれば、それは望ましい訳ですから、味岡さんに限らず、もっと増えて欲しいですね。
今回の行為というのが、もし、成功して世の中で認められるようになれば、メーカーと無関係のデザイナーが商品化できた訳ですから、今後のチャンスが拡がるのではないかと考えていますね。それにかなで日本字が多様化するという考え方も出ましたし、これからやろうとする人でもかなだけでいいとなれば、少しは励みになるのではないでしょうか。なにせ今度JISでコンピュータ用の文字種は約七千字と決まっちゃいましたし、写植ではワン・セット五千字ぐらいという量ですからね。それが、かなだけでもいいとなれば、これから文字を作りたい人の層が拡がるのではないでしょうか。





こんな書体を待ち望んでいた。
誠文堂新光社 ザ・コピーライターズ 1985年2月、第3号より
味岡伸太郎+ザ・コピーライターズ「タイポで行こう」編集部



TOTOウォッシュレット新聞広告 AD=副田高行氏 C=仲畑貴志氏



サントリーオールド新聞広告 AD=浅葉克己氏 C=糸井重里氏

これは9月30日の朝刊に掲載された、TOTOウォッシュレットの広告である。コピーはもちろん仲畑貴志氏で、ADは副田(そえだ)高行氏。思わずクスッとしちゃうその語り口もさることながら、そのキワドイ内容をイヤミに感じさせないのは選ばれた書体のユーモラスな温かさによるところが大きい。この広告のために手書きされた文字、と思った人も多いだろうけど違うんですねえ、これが。このかなこそジャジャン!何を隠そう、「良寛」なのであります。
 それに前後して、広告がうまいとされる西武流通グループ、サントリーのポスターや新聞・雑誌広告をはじめ、11月末現在、ここに紹介した以外にも日立、三菱、アルファレコード、日本テレビ等の広告に使用されている。西武グループに至っては、これっきゃないって感じで企業広告からイヴェントの告知まで「小町」一色だ。

 グラフィック・デザイナーというのはその仕事柄、新しもの好きである。だから新しい書体が出てくると我れ先に飛びつき、それを用いた広告をつくる。84年に発売された写研の「ボカッシィ」(ゴナUにナナメのスリットが入ったようなヤツね。)などがよい例だ。が、小町、良寛の場合は、ボカッシィのように、特定の場合にしか使えないディスプレイ・タイプとは根本的に事情が異なっちゃうのだ。
 小町、良寛を用いたほとんどの広告に共通しているのは、ボディコピーにもそれを使用している点である。単に文字の形のおもしろさだけを求めるなら、ヘッドコピーにのみ使用すれば十分でしょ?そんなところからも、この書体がいかにセンセーショナルで、現在のモテモテぶりが単なるブームではないという証明になるんじゃないかと思う。
 さて、作者の味岡伸太郎氏は、写真、書、平面、立体、舞台衣裳、グラフィックデザインを手掛けてきたマルチパフォーマーである。そんな味岡氏がなぜ、こんなユニークな書体を創作するに至ったのか。

───
小町、良寛はどういういきさつで生まれたのでしょうか。
味岡
グラフィックデザイナーとして、短歌を組む仕事があったのですが、それにぴったり合う書体が発売されているものの中になかったんです。それで仕方がないから作ってしまおう、ということで作ったのが小町の元になったものですね。
 その時、こんな文字を作ってみた、と林さん(小町・良寛のプロデューサー(株)タイプバンク主宰)にお見せしました。それから2年くらいたってタイポグラフィ年鑑に応募したのとLTSPという本に小町が紹介されたのを見たデザイナーの方から、ぜひ使いたいという申し出があり文字盤化することになったんですね。実際、文字盤化するにあたっては、いろいろと欠陥も見えてきてたんでほとんど作り直しました
───
すごくユニークな文字のように思えるのですが、どこからこういう文字を発想されたんですか。
味岡
良寛は、江戸後期の禅僧であり歌人の良寛の書いた文字を写植化しようということではっきりしてますね。
 小町は、筆で書いた文字と活字の中間ぐらいのものが何かないかな、と思った。というのは短歌を組む時に、一足飛びに活字から離れて筆文字に飛ぶのではモダンさにかけるというのか……、その中間ぐらいのがちょうどよいと思ったんです。
 小町、良寛はかなしかありませんが、日本の文字というのは漢字はそのままでかなを変えることによりバリエーションが出るんですね。それに漢字を作るとなると五千字くらい書かなきゃならない。だけどかなってのは二百字もかけばできてしまうんですよね。つまり25分の1以下の労力で、文字を組んだ時のイメージを変えることができるんです。
 欧文にはいろいろな書体がありますよね。日本の文字は大きく分けて明朝とゴシックかというくらいに種類が少ないでしょう。だから多様化にこたえるとなると漢字をデザインするのがネックになってしまうんです。そこで、かなだけ変えることによっていくらでもバリエーションがでてくるんではないか、逆に言えばかなだけでも十分なのでないかと考えたわけです。実際に使われたものを見るといろいろにイメージがかわってますよね。
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東京ガスの広告では、かなに合わせ漢字を作ってるようですが、今後、漢字を作ろうという予定はないのでしょうか。
味岡
そういうふうによく言われますが僕はかなだけでいいと思ってるんです。こういう発想がでたのは、僕が専門のタイプフェイス・デザイナーでないからでしょう。実際、かなだけで組んだものより、明朝の漢字がポツポツと入ってる方がきれいなんですよね。流れていっちゃうのを止めてくれるので可読性もあがってると思います。ですから、決して経済的な問題だけで漢字を作らないというのではありません。
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組み合わせる漢字ですが、やはり明朝体を最初から想定されたわけですか。
味岡
一部の方には楷書や教科書体を組み合わせてらっしゃる方がいるようですね。パッと見て筆文字だというんで、そうしたくなってしまうんだろうけど、作った立場でいうなら、小町、良寛は決して古い文字ではないんです。明朝と組み合わせというのは前提ですが、いろいろな組み方でもっと新しい可能性が見えてくると思います。
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本来タテ組みの日本の文字が、現在ではヨコ組みも行われていますね。タイポスやナールなどの新書体が開発される背景には、必ずこのヨコ組みへの対応ということが念頭におかれていたと思うんですが、小町、良寛の場合はいかがなんでしょう。
味岡
林さんとも、初めからヨコ組みは考えないということで進めました。でも現実には良寛などヨコ組みされた例も多いですね。別におかしくはないみたいですね、自分でもやってますけど。でもヨコ組みにはそれ用の書体を作るべきでしょう。日本の文字というのは骨格がヨコ組み用にはできてないからむずかしいでしょうけど。
 ひらがなには、ものすごいたくさんの万葉がなというのがあって、「む」の字ひとつとってもいろんな「む」があって、その中で一番タテ組みに適し、美的にも美しい文字というのを僕らの先祖が永々とかけて選んだんですね。それを便宜上、僕らがヨコに並べてるわけですから、そう簡単にはいかないでしょう。そのひとつが、女の子の間ではやっているマル字であるわけで、ヨコ書きに対応するための方法論なわけですから、これは悲しむことでも腹を立てることでもないんですね。僕らの世代じゃないでしょうが、あれがヨコ組みへの突破口になる気がします。
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たとえば、サントリーオールドの広告の場合、小町ではなく別の文字を使ったら、コピーの言わんとするところも違って聞こえてくるようなことがあるでしょうか。
味岡
今までの字だったら、これは「む・か・し、む・か・し…」と一文字一文字が独立して読めるような感じだったんじゃないでしょうか。小町を使うことで「むかし」というふうに、文字がひとかたまりずつで読めると思うんです。ひとつのことばが、ひとつのかたまりとして読めることで、よりイメージが伝わるんじゃないかと思います。文字は記号に徹すべし、という考え方もありますが、コピーライターの方でも、わざと当用漢字にないような古い字を用いたりしているのは、文字そのものに主張を持たせているんだと思います。
 詩人は文字の組み方を研究して、タテ組みにしたりヨコ組みにしたりしてますよね。それはやはり、組み方による受け手の印象の違いを重視しているからなんですね。