ブログ タイポグラフィ タイポグラフィの話

▼2009-12-16 20:11
景象81

俳人星野昌彦氏が主宰する同人誌「景象」の81号が届いた。巻頭に星野氏の句が26句。全てに私がデザインしている入河屋が詠まれている。最近の氏の句作は意欲的である。



松籟を和菓子に包む入河屋
石畳端から濡るる入河屋
抹茶濃く立てて涼しき入河屋
睡蓮の開く音して入河屋
蝉時雨昼は鳴き止む入河屋
牛蛙すこし躄(いざ)りて入河屋
水曜日また巡りくる入河屋
盆の月やや傾きて入河屋
ガラス透明に烏鳴く入河屋
入河屋金ぶん弾く紙障子
夏燕天井高き入河屋
葦の丈白昼揃う入河屋



大夕焼坂下がりつつ入河屋
蜩の声洩れてゐる入河屋
雁渡る天井高き入河屋
桶ありて菊濃く匂ふ入河屋
曼珠沙華角を曲がりて入河屋
コスモスの花に風湧く入河屋
栗蒸しの栗からほぐれ入河屋
晩秋の艪の音軋む入河屋
猫老いて陽だまり盗む入河屋
甚作を喚べばしぐるる入河屋
甚作は饅頭となる入河屋
入河屋吉田大橋しぐれつつ
艮(うしとら)の隅に鬼いる入河屋

そして、最後の句には私の名も詠まれていた。

入河屋灯ともる味岡伸太郎

少し嬉しく、少し恥ずかしい。でも悪い気はしない。



氏の名誉のために、句中の「金ぶん」の「ぶん」は本来は「文」の下に「虫」。字体がないので仕方なしに平仮名で表記してしまった。また( )の中は本来はルビなのだが、これも組む方法がない。残念だが、ブログの環境は本来の日本語を自由に使うまでには至っていない。


▼2009-12-24 18:26
文字・北京2009展

2009年10月に「信-XIN」をテーマとして世界デザイン会議は北京で開催された。その重要な企画展の一つ、文字・北京2009展/Beijing Typography 2009 (bt'09)の図録が届いた。



この展示は、これまで中国で開催されたタイポグラフィ展として、最も影響力があり、最大の展示だったという。日本からは杉浦康平さん、勝井三雄さん、葛西薫さんら9名の参加だった。少し見にくいが、600頁を優に超える図録はたいへん立派だ。このような参加者が全世界に及び、人数の多い時には、自分の名が有り難い。殆どの場合、掲載がアルファベット順のため、これまで3番目以降になった記憶がない。自分の頁を探す必要もなく、作品を見ることに疲れる前に自分の作品に辿り着くことができる。





▼2010-03-09 08:56
書体デザインへの試み

かねてより開発中のフォント作成のソフトがまもなく完成する。このソフトは「文字を作る機能」と「部首を合成する機能」という2種類のエンジンで構成している。これまで、タイプフェイスのデザインはその字数の多さから、膨大な時間が必要となり労働集約的なデザイン分野として、優秀なデザイナーの参加を拒んできた。
 私が25年前に作った、「小町・良?」を始めとした仮名書体のデザインも、労働集約的な作業からデザイナーを解放して、欧米のアルファベットのような数の豊かさ獲得するための提案だった。つまり、一つの漢字に複数の仮名を用意することで、その目的に近づこうとしたものだった。この提案はその本質よりも書体の形態の斬新さと面白さが取り上げられ、どんな書体でも、漢字と組み合わせ可能とばかりの風潮が表れたのは残念だったが、結果として、漢字と仮名を組み合わせる考え方が、合成フォントとして組版の標準になったことは、一つの成果だった。

http://www.ajioka3.com/(デザイン→タイプフェイスデザイン→小町・良?/かなシリーズ)
 次いで、私が考えたのは、本当に日本の書体はjisの約7000もの漢字が必要なのだろうかという問だ。その中には殆ど使われることのない字が相当数含まれ、浅学の私には読めなく、使えない文字がかなりにのぼる。
 確かに情報処理の問題では、文字数はjisの約7000字でも足りないのであろう。しかし、そのことと、全ての書体にそれだけの文字数が必要かという議論は論点が違う。
 それでは、本当に必要な文字数とは何文字なのか、最低何文字あれば、実際の組版に対応できるのか。とりあえず、漢字1000から始めてみたのが「FONT 1000」である。現実には1000字では足りないことは分かっている。しかし、1000字ならば比較的簡単に参加できる。実際に若く優秀なデザイナーが参加し、育ってきている。その後、2000字に増やし、販売された書体もかなりの数になる。
http://www.font1000.com/

2000字に増やしたがそれでも、やはり足りないようだ。あいかわらず、本当に必要な字数への問いかけは必要だが、フォント制作の労働集約的部分がソフト開発で低減されるのならばと、「FONT 1000」の活動開始と、ほぼ同じくして、今回完成するフォント作成支援ソフトへの試行錯誤が始まった。数少ないエレメントの制作から、部首を作り、それを修整して次の部首へと作業をすすめ、完成した部首を合成して書体が完成する。このソフトの完成で、その全ての工程で作業が大幅に低減され、デザイナーの意志も簡単に反映される。
 現在行っている体験版の反応で、操作性がさらに改善され、まもなく「エレメントを変形し修正し文字を作る機能」を持った「Typographer」は発売される。「部首を合成する機能」を持つソフトは当面販売されないが、「Typographer」との組み合わせで、フォント制作は劇的に変わるだろう。
 全てが満足できる提案ではなかったが、その時代ごとに私なりに答えをだしてきた。私も残り10年でこの25年の取り組みの成果を出したいものだ。

体験版と詳しい取り扱い説明書は下記で手に入る。
http://sic-shop.com/TypoGrapher/TypoGrapher_index.html


▼2010-05-24 19:14
時々、書体のデザイナー 1

豊橋の自宅から、飯田線船町駅は歩いて5分。毎朝、6時と7時台に1本だけ、この駅から湯谷温泉行がある。
 自分が使うための書体は自ら制作するのが基本なので、普段は人の制作した書体が気になることはない。列車の到着を待つ間に駅案内標の書体にふと目がいき、久しぶりに自分が書体のデザイナーであることを思い出した。これも鉄道の魅力の一つか ? 。
 以下はとてもマニアックです。書体のデザイナーはこんな細かいことを考えているんだと、興味のある方だけお読みください。JRの利用は殆ど新幹線のため、駅案内標に使用されている書体は、「ゴナ」をベースに統一されたのだと思っていた。



豊橋駅の新幹線ホーム駅案内標

しかし、飯田線の駅案内標の書体(漢字・欧文)は、1980年ごろ、タイプディレクターに石川忠・佐野稔・林隆夫、デザイナー小芦重幸で制作された、サイン書体「JNR-L 1」が原型のようだ。



この書体は同スタッフで制作された「サインGB」が元となり、国鉄に採用され、当時、東北・上越新幹線で使用された。それ以前の国鉄の制定書体に、いわゆる「スミ丸ゴシック」がある。正式には「すみ丸角ゴシック体」と呼ばれ、駅案内標(駅名標、駅構内の案内表記など)や、旅客車案内標(方向幕など)などを製作する際使用された。詳細は、「鉄道掲示基準規程」に定められ、一辺の太さの8分の1の半径で角を丸くしていた。
 この規定はなんのことはない。当時手書きのゴシック体を筆でかくとき、角を直角にすると時間がかかり、角を丸くすると一筆で書けるため、先端が半円形の「丸ゴシック」や、角だけ丸いゴシックつまり「スミ丸ゴシック」が看板屋さんに多用されたのだ。それが、現場を知らない担当者が、角が丸ければ人に優しいなどと理屈をつけ、「鉄道掲示基準規程」としたものだ。そこに深い書体デザインの識見があるのではない。この規定通りに制作しようとなると、看板屋さんは大変だ。今と違って手で書かなければならず、殆ど守られてはいないだろう。しかし、担当者は幸せにもその違いに気がつかない。
 JR各社では、駅名標の書体は「ゴナ」を使用していたが、CIブームに乗って、1988年にJR東海は、コーポレートカラーを帯状に配した新デザインを制定、サイン書体JNR-L 1」を引き継いだようだ。その際リデザインしたとされるが、船町駅の駅案内標を見た限り、漢字と欧文は殆ど変わっていない。欧文は先のスタッフで制作された「サインGB欧文」であろう。しかし、仮名はまったく違う。
 駅名の表記は明治期以降、長らく平仮名表記が主だったが、東海道新幹線開業時の新幹線用駅名標に、漢字が大きく表記された。しかし、飯田線等の在来線の表示には古いスタイルの平仮名表記が残ってしまった。そこで、JR東海のCI導入時に駅案内標が新たにデザインされ、漢字と欧文には先のサイン書体が使われ、文字数の少ない平仮名のみが「現在風に微調整」の耳障りのよい言葉で、新たに制作されたのだろう。しかし、船町駅の駅案内標を見た限り、実態は平仮名の「し」や「は」の書き出しに筆の名残の若干のカーブが見られ、かえって古いスタイルになっている。
 日本のデザイナー、広報担当者は書体のことを本当に知らない。漢字にサイン書体「JNR-L 1」を使用するならば、その仮名で充分だし、すでに東海道新幹線は「ゴナ」を使っているのだから、「ゴナ」でもよい。少なくとも、新しく(レベルの低い)仮名を制作する必要はなかった。担当者の自己満足か、企画会社の売り上げのためか。いずれにしても、サイン書体「JNR-L 1」の制作にかかった、膨大な時間と経費の無駄遣いである。これも、事業仕分けの対象だろう。


▼2011-04-27 10:24
漢和辞典

広告コレクターとして知られる佐溝力氏が、漢和辞典を届けてくれた。明治17年発行の和綴じの美しい一冊だ。



本文の虫食いも少なく保存状態も素晴らしい。頁を眺めるだけで文字好きな私には有り難い。



似たような辞典をすでに一冊手に入れていたが、今回のものは状態がいい。
編集人も出版人も奥付を見ると愛知県人である。



明治のこの頃には、愛知県にもこのような辞典を発行しようという人がいた。それからの100年、日本の歩みは、地方からこのような人材を奪い、産業は衰退し、地域の文化を消失させ、人々の情熱をも消そうという、東京一極集中の愚を重ねてきた。今回の大震災の電力不足はその結果である。
 確かに日本が欧米列国に対して、文明的な力が劣っていた時代には、その政策はその範囲では有効だった。しかし、今、効率が全てに優先される社会の弊害は、限界を超えようとしている。
 友人から届いた好意に感謝し、その字間に込められた先人の思いを、しみじみと受け止めている。


▼2011-11-24 12:43
山梨へ

JDCA(社)日本デザイン書道作家協会主催、地域ブランド元気プロジェクト甲州ワインラベルデザイン展の、記念シンポジウムの基調講演者として甲州市勝沼にでかけた。あいにくのというか、やはりというべきか。近づくにつれ雨足は強くなるばかり。幾つかのトンネルを越えて到着した勝沼ぶどう郷駅ホームの、左は見事な桜並木の紅葉、右はやはり紅葉の葡萄園が霧の奥まで続いている。晴れていたらさぞ美しいだろうと想像しながら、迎えの車で会場へ。霧はますます深まり、10m先が見えないほど。

基調講演の演題は「書に宿る美意識とその展開」。
構成は
書そのプロローグ
書の空間 1
書の空間 2
漢字とかな タイプフェイス
錯視からの展開
ロゴタイプへの展開
楷書から
エピローグ 再び書へ

この40年間の書への関わりについてまとめてみた。こんな講演の依頼はありがたい。「書」を通して自らの仕事を振り返るよい機会となった。
 講演の後はパネルディスカッション。「真にローカルに徹すれば必ずそれはインターナショナルになる、但し、それには無知からくる「おらが村が一番」の錯覚を排除できる、グローバルな視点が必要である。」といつもながらの発言。
 せっかくの景色は明日は晴れそうなので、堪能して帰ろうと思っていたら。二次会の会場は40分も離れた甲府市内。ついにかなわず、ホテルで見た県立美術館のチラシに誘われ、浅川伯教・巧 兄弟の心と眼ー朝鮮時代の美を見た。浅川伯教の朝鮮土産が発端になり、柳宗悦が民芸運動に目覚めたことはよく知られている。しかし、その浅川伯教・巧 兄弟のことは殆ど知らなかったので、良い機会だった。収集品も素晴らしい。
 なかでも、柳宗悦によって知られるようになった「木喰仏」。これまで、木喰仏は素人臭いうえに自意識過剰で好きではなかった。なにゆえ柳宗悦はあれほどまでに木喰仏を評価したのか。展示されていた木喰仏は柳が始めて見た木喰仏三体の一つ。これを見て評価の理由が始めて分かったような気がした。沢山の木喰仏を見てきたが、それには私の嫌いな木喰臭が少なかった。
 もう一つ、魯山人も今まで良いと思ったことがなかったが、並んでいた三碗は評価できるものだった。
 JDCAの会員は終日山梨観光のこと。昨夜、すこぶるの雨男の私が帰るころには青空ですよと言って別れたが、案の定、帰りの列車に乗る頃には暑いほどの青空が広がっていた。


▼011-11-24 19:33
JDCA(社)日本デザイン書道作家協会 続

講演の後、JDCA会員の大変若い女性から、書道雑誌「墨美」の名が出てびっくり。それは私が20代のころにすでに古本でしか読むことのできなかった本なのである。
 森田子龍が、昭和二六年に創刊した「墨美」第一号の表紙には、フランツ・クラインの作品が掲載 され、特集されている。彫刻家のイサム・ノグチが、画家の長谷川三郎にフランツ・クラインの作品のプリントを渡し、できれ ば書の雑誌に載せてほしいと依頼したからであった。長谷川三郎は、「書の美」誌のα(アルファ)部等を通じて縁のあった森田子龍にこれを手渡した。
 彼女はα部の名も知っておりさらに驚かされる。ちなみに私の生年は昭和24年である。つまり、「墨美」創刊は私が2才の時。α部というのは、書の概念にとらわれない領域を模索していた森田子龍が、師の上田桑鳩の同意を得て「書の美」誌に実験的に設けたジャンルであった。しかし、フランツ・クラインのプリントを得た森田子龍はα部に止まらず、「墨美」の創刊に踏み切り、毎号のように抽象表現主義の紹介を続けた。
 もう「墨美」のことをは歴史の彼方に埋もれてしまったと思っていたが、娘よりも若い書家からその言葉を聞き、その時代を学ぶなら、是非とも読むべき一冊と紹介したのが、森田子龍偏の「書と墨象」。私も若いころ貪るように読んだものだ。



嬉しいことにネットで調べ買いましたとのお礼のメールが届いた。まだ、2冊在庫があるようだ。早いもの勝ちです。


▼2012-02-27 14:24
韓国ソウル「ペーパーロード、紙的想像の道」

五月、韓国ソウルで「ペーパーロード、紙的想像の道」をテーマとするデザイン展が開催される。ポスター、ブックデザイン、紙プロジェクト、タイポグラフィの四部門で構成され、韓中日から選抜された、約百名のデザイナーが出品するポスター部門に私は招待されている。
 会場は国立の「芸術の殿堂 デザイン美術館」。約二十年程前に開館、その開館記念展にも招待され、出品作はその美術館に収蔵されている。
 経済面での最近の韓国の躍進は目覚ましい。官民一体の活動の成果である。デザインも同様で、日本では公立のデザイン美術館はない。今、おそらく韓国よりも日本のデザインの方が上であろう。しかし、それが何時まで続くか。やがて、追いつかれ、追い越されそうな、勢いが韓国にはある。
 韓国ACAでの講義についてはすでに書いたが、ACAは産官学の協力で、社会や大学を卒業した後、さらに上を目指そうという学生が学んでいる。学生のレベルは驚くほど高い。そこと提携する同様な学校が東京青山にあるが、その運営はデザイナー個人によって行われ、大きく違う。これまで日本を支えてきた仕組みが時代に対応できなくなり、韓国の躍進、日本経済や地方の衰退は全て同根である。
 ともあれ、今年中に完成を目指す明朝体のためのポスターを出品した。それぞれ突・破・畳・折・切の一文字を画面の中央に大きくレイアウトし、それぞれに直接、突いたり、破ったりの行為を加えた。





大量生産を前提とすればいささかタブーな作品だが、成熟し、チャレンジ心を失わんとする日本には必要な試みなのだ。


▼012-05-18 11:49
韓国ソウルで「チョガッポ」に魅かれた

五月の連休が終わった後に韓国ソウルに出掛けた。旅の目的は二つ。一は、FONT1000韓国展の飾付けと初日の講演。二は、芸術の殿堂 デザイン美術館で開催された「ペーパーロード、紙的想像の道」展。





芸術の殿堂 デザイン美術館と会場入口

この展示は、韓・中・日から選抜された約百五十人のグラフィックデザイナーによるポスター展とブックデザイン展に、紙による提案展、歴史的な名作ポスター展を加えた四部門で構成。総点数が二千点にも及ぼうという、壮大な展覧会である。私はポスター展にエントリーしていた。(実は、ブックデザイン展にも未応募の私の作品が展示されていた。)





ポスター展とブックデザイン展会場

また、FONT1000韓国展はこの展覧会のイベント展示でもある。会場が国立のデザイン美術館であることは知らされていたが、会場を見て、改めて彼我の違いを実感。(日本では、美術館でデザイン展が開催されることすら稀である。)展覧会のカタログの厚さが十三センチにもなる豪華さや、会場が観客で賑わい、その多くが若者であることに、韓国の勢いをまざまざと見る。





二日目は夕方六時半より講演とオープニングパーティ。その前に、「チョガッポ」が見たくて、韓国刺繍博物館に。「チョガッポ」とは、小さな布切れをパッチワークした「ポジャギ」(日本の風呂敷のようなもの)のこと。「ポジャギ」は使う布や包むものによって様々だが、私は特に麻や絹の透ける布の端切れを組み合わせた「チョガッポ」に魅かれた。



韓国の女性たちがほんとうに小さな布の切れ端までをも愛しみ、一針一針、気の遠くなるような時間の果てに繋ぎ合わした一枚の布が「チョガッポ」である。布が重なり、僅かに濃くなった繋ぎ目が作り出した無心の構成美が魅力だ。
 時にそれは、豊饒なアールヌーボー様式をも彷彿とさせ、時にパウル・クレーの抽象画のようにも見える。クレーの画面から感じると同じような美しい響きが「チョガッポ」からも聞こえてくる。
 その自在な繋ぎ目は無心に布を繋ぐことから、生み出されたものだ。それは計算からは決して生み出されない。布への限りない慈しみと惜しみない愛情からしか生まれない。
 講演では、日本のタイプフェイスの現状とFONT1000の活動を語り、フォントの使用例として私の書体「方眼」を紹介。その日の「チョガッポ」の感動をそのまま、「方眼」を使用した風呂敷のデザインとの共通性に触れる。デザインの共通性はもちろんだが、その構成は計算し尽くすコンポジションではない。伊呂波四十八字を只並べることから自然と生まれた結果である。そして、ものを包むことから生まれる偶然性をも取り込んだデザインである。



「方眼」はその名からも分かるとおり、方眼上に全ての点画が配置されている、そして斜線は全て四十五度である。その結果、文字が並んだときにラインが揃い、造形的な組版が生まれる。隣にどのような文字がこようとも、調和するようにデザインされるのがタイプフェイスだ。「方眼」は特にその点を強調した書体である。何千字もを、黙々と延々と作り続けることも、「チョガッポ」と「タイプフェイス」はよく似ている。
 講演の後、動向した友人のデザイナーから、「チョガッポ」と、私の鳳来「湯谷の家」の床は同じだ、との嬉しい言葉をいただいた。「湯谷の家」の床は、木材を手当たり次第にパッチワークした。大小だけでなく、樹種も色も全く構わず貼り合わせている。結果は既製の床材では到底得られない、豊な表情を持つ床が生まれたと自負している。
 その後、ギャラリーサンセリテに制作した、土染めの布の茶室とも同じだとの指摘を、別の方よりいただいた。好みというのはつくづく同じなのだとあらためて実感。





「ポスター展とブックデザイン展」の作品は、いずれも技術も構成もまた印刷技術も素晴らしく、全てが計算されたデザインが並び、いずれもが現在の韓・中・日のデザインの水準を示していた。しかし「歴史的な名作ポスター展」と比べると魅力に乏しい。



それは何故か。もちろん、歴史に耐え、選び抜かれた作品と比べるのは不公平ではあるが、技術や計算や効率や完成度は感動やインパクトには直接結びつかない。そのことを、計らずも今回の展示は我々に教えているのだろう。「無心や必然性」「限りない慈しみと惜しみない愛情」これらは「技術や計算や効率や完成度」とはほど遠いものなのだろう。


▼2012-07-26 10:02
日本デザイン書道大賞

「日本デザイン書道大賞」というものがある。一般社団法人日本デザイン書道作家協会という団体が主催している。昨年、この団体の総会で講演し、始めて存在を知った。そして、 今年の9月に開催される第16回の審査員を依頼された。「広告・デザイン業界唯一のデザイン書道コンペティション」とある。ハ詳しくは下記のパンフレットで



どんな作品が応募されてくるのか。デザインに使用されている「書」には、常々、疑問を感じていた。「書」の本質とは関係なく装飾的な技法や、悪癖が目立つのだ。もちろん、デザインである以上、クライアントの意向もあるが、それ以上に作家としての姿勢が問われている。良い機会なので、どこまでできるか分からないが、主張の場を与えられたと考えている。
 それはそれとして書作品をデザインに利用されている方はこの機会に応募されてはいかがですか。


▼2012-07-30 19:07
韓国、光州アジア文化マル「ポスターの森」

韓国ソウル、芸術の殿堂 デザイン美術館で開催された「ペーパーロード、紙的想像の道」展。
 韓・中・日から選抜された約百五十人のグラフィックデザイナーによる
ポスター展とブックデザイン展に、紙による提案展、歴史的な名作ポスター展を加えた四部門で構成。総点数が二千点にも及ぼうという、壮大な展覧会である。私はポスター展とブックデザイン展にエントリーし、さきほど終了した。
 ポスター展には、日本から約30名が選抜されていたが、このほど、その中から、さらに選抜され、8名が、韓国、光州アジア文化マルで開催の「ポスターの森」に展示されることになった。韓16名・中8名・ハ日8名による、100点のポスター展のようだ。日本からの参加は、浅葉克己、佐藤晃一、佐藤卓、長友敬典、松永真、三木健、山口信博と私の8名である。
 私の出品作は「大量生産を前提とすればいささかタブーな作品だが、
成熟し、チャレンジ心を失わんとする日本には必要な試みなのだ。」
と書いた。タブーを犯した思いを少しでも評価して頂いたのならばまことに嬉しい限りだ。


▼2012-12-05 12:50
どうぞ、爺バカと笑ってください。

二人目の孫「円」が誕生。祝いの品につける、ロゴを依頼された。孫可愛さでパワー百倍。瞬間芸でロゴは完成。今のところ、ロゴのように、コロコロして、丸々して。不安はつきない。



二人目には、厳しく、爺と呼ばせないように心がけよう。日々鍛錬じゃ。