ブログ デザイン デザインの話

▼2009-12-02 16:12
JAGDAカレンダー

所属するデザイン団体JAGDAのデザイナー365人が、一人一日を担当したJAGDA365カレンダー、私は5月30日を担当した。その日に生けた●(どくだみ)に俳人星野昌彦氏が句を添えた。
 水の精域十薬の花浮いてをり
十薬はどくだみの別名。皆頑張りそうで、疲れそうなので、力を抜くように頑張ってみた。





▼2009-11-30 12:32
心にのこるセリフ

長いお付き合いの浜松百撰の先の編集長安池澄江さんから寄稿の依頼。
「心にのこるセリフ」特集の一人に仲間入りさせて頂いた。
 安池さんは全国的にタウン誌が創世のころから、浜松百撰の編集長を続け、2007年に後身に道を譲って一応引退された。今回の依頼でまだまだ頑張っていただいているようで嬉しいかぎり。引退時にはその間に書かれた小説を纏められた一冊をデザインさせていただいた。お手伝いができて有り難かった。その時のセレモニーも素晴らしかった。長い活動を皆が評価していることは出席者の笑顔からもうかがえた。




記念誌「清介と猫の旅」 イラスト:宮田香里


浜松百撰寄稿「心にのこるセリフ」
日本の抽象絵画の先駆者の一人、山口長男生先にお会いしたのは、確か28歳のときだった。30年以上前のこと。
その時、先生はオップアートの代表的な作家ブリジット・ライリーの作品写真を手にし「縦縞のカーテンが風に吹かれれば、このような模様を描く。水面に風が吹き波立てば、やはりこのような模様を描く。絵書きの仕事とは、そのような結果としての現象を描くのではなく、現象を起こす目に見えない風を描け。」と言われた。そのときの僕にはその言葉の本当の意味までは分からなかった。ただ、そのことは生涯考え続けなくてはならない問題だ、ということだけは理解出来た。
その時もう一つ教えられたのが「片側にデザインで作る斜面があるとして、反対側に美術で作る斜面がある、その二つの斜面が接する高みに、山の稜線が続いている、その山の稜線を歩け」。僕はその頃、デザイン関係の人からは、美術をしていたらデザインが難しくなる。美術からは、デザインを続けていると、美術がデザイン的になるからやめろと言われ、迷ってた。
君はデザインもしているんだね、という話からいきなり先生は「デザインに係わることで、美術が社会との接点を見失なわずにすむ。美術に係わることで、デザインが大衆に迎合しなくてすむ。その二つのせめぎ合う山の稜線を歩け。そのどちらに足をとられても、君は谷に落ちる」と言われた。
それ以来、美術でどういう評価が出ようと、デザインでどのような評価が出ようと、機会を与えていただける間は両方頑張ろうと思ってきた。大げさでなく、この二つの言葉が僕の出発であり、最終目標です。もちろん、好きなことを行うことが大前提ではありますが。


▼2010-01-06 18:46
帆前掛屋開店

2010年の仕事始めは、本染の帆前掛専門の店「本染帆前掛屋」のホームページのアップです。
 私の住む東三河は古く穂の国と呼ばれ、あるイベント用に穂の国の帆前掛をデザインした。それが思いの外好評で、昨年はニューヨークでも披露した。



帆前掛は、室町時代、漁師が古くなった帆を切って前掛にしたのに由来し、戦後、酒蔵の販促ツールとして受け入れられ、豊橋では最盛期には一日一万枚が出荷されていた。全国の日本酒、焼酎の蔵元のほとんどで豊橋の帆前掛が使われ、味噌、醤油の醸造業、食品関係、飼料・肥料、運送業、鉄工業などにも広がっていった。その後は勢いを無くしていたが、最近になって見直されてきた。そこで古くからの帆前掛の染屋さんと協力して、最近多いシルクスクリーンのプリントではない、本染帆前掛専門の店をWebに開店することにした。帆前掛は一般的には全て特注品だが、前もって、様々なデザインを用意して、名入れしてもらうプラン。



http://www.homaekake.net


▼2010-02-23 09:00
JAGDA Report に思う

JAGDAの会報 JAGDA Report が届いた。全国より、11道府県のデザイナーの活動を紹介。私もその一人として、春夏秋冬叢書を中心に掲載されている。



最近、様々な取材をうけ、気になることがある。取材者にとって都合のよいこと、絵になることだけを求めるというのは、別に今始まったことでもなく、珍しい行動パターンではない。わずかな紙面や時間で全てを伝えることも、ましては本質を伝えることなどは不可能で、所詮は編集者の質や見識に帰結し、その範囲の見方にすぎないと、もうそのことは、あきらめている。そのため、校正も事実の間違い以外はチェックしない。出来上がりの放送や紙面にも興味はない。しかし、最近、画像の質が全体に落ちているのが気にかかる。
 今回のJAGDAの会報もその例にもれない。デジタルになったことによる、印刷管理システムあるいは、デザイナー・カメラマンの単純な技術・知識不足なのか。いずれにしても日本最大のグラフィックデザイナー団体の会報であるから、ことは深刻である。


▼2010-01-12 14:29
新年最初の週末

慌ただしい週末だった。9日の土曜日は昼から、青山のミームデザイン学校での講義。祖父江愼さんとのコラボレーションの授業だ。彼とは、彼がまだ大学前からの付き合いになる。私の娘たちを風呂にいれたり、肩車をしてもらって初詣や祭りに出掛けたものだ。その娘も36になり、初孫が事務所をよたよたと歩き回り、事務所は今や託児所になりさがっている。松永真さんにそのことを話したら「孫は可愛いだろ」で片付けられた。打ち合わせにも授業の定刻にも遅れ、彼は開講一番「公開で打ち合わせします」。さすがです。授業は、私のドローイングと言えばいいのか、書といえばいいのか、彼の依頼で制作した、麿赤児さんのプログラムや、リクルートのデザイン年鑑。



私の昨年の個展の作品「ドローイングの巻物」などを見せながら始まった。
http://www.ajioka3.com テーマは彼らしい言葉の「うっとり」探し。そして、完成させすぎないデザイン。
 言葉を変えれば、「いいかげん」あるいは「てきとう」なデザイン。どちらも平仮名だと印象は悪いが、漢字だと「良い加減」「適当」になる。授業の後半はワークショップ。半紙の大きさに好きなものをそれぞれ描く。合計100枚以上の中から、適当に選んで20枚を横1 列に並べる。考えず、どんどん選んで並べると、予期せぬ結果が生まれる。生徒に続いて私と祖父江さんがチャレンジそれぞれの結果が面白い。写真が手元になく見せられないのが残念。この講義はあと3回続くので、その間に手に入れてブログに載せよう。
 講義の後は吉祥寺に移動。SOH GALLERY K3のオープニングと作家たちとの新年会。
http://www4.atword.jp/ajioka/2009/12/14/soh-gallery-k3/ さほど広くないギャラリーは作品と人で一杯。彫刻家の伊藤誠さん。文化人類学の西江雅之さんなど久しぶりの出会いで遅くまで盛り上がった。ここでも写真がない。取り忘れたのではない、最近はシャッターをやたらに押すことが恥ずかしいと思うようになった。その日は吉祥寺泊まり。
 明けて、そのまま名古屋へ。書体を名古屋で作っているメンバーとの新年会。駅前のタワーで待ち合わせ。人は流れているが、どうもこのような場所は空気が流れず、息苦しい。日本酒を熱燗で注文する。すると「燗を付けると味が落ちる」とのこと。つい日本酒は燗だろと言ってしまった。田舎者と思われても構わず注文する。暖かい内に呑もうと思っていたら熱燗が片口で出た。猪口まで口径が大きく、皿のような代物。惜しげもなく、暖かさを回りに振りまき、アッと言う間の燗ざまし。語りあって酔いもさめた頃、最終列車に乗った。


▼2010-01-26 21:24
続 ミームデザイン学校

祖父江愼さんとのミームデザイン学校での講義は進行が楽しくて、なかなか面白かった。後1回残すが、中間発表です。3回分の写真が揃いました。

第1回目 1月9日



デザインではないが私の文字の作品を通して、完成されすぎず、計算せずの画面構成の話



昨年の個展の作品。明治の物理学の教科書の内容を描いた、巻物仕立て。異質なものを、計算せず、直感で並べていく。



生徒たちによるワークショップ。自由に描いたものを前後考えず並べた結果で、自らの考えを超える感覚を知ってもらいたい。自由に描くことの難しさも同時に、



生徒の後で私も挑戦。



私の選んだ20枚の内、最初の4枚。

第2回目 1月16日



何を聞きたいと祖父江さんに聞いたら、まず私が28年前に作った仮名書体のことから。久しぶりに細かい文字の話に。



文字の話になるとついつい細部の話になってしまう。頑張りすぎず、うっとりできるデザインの話をする予定だったのに この画像では、線の太さを全て同じに見えるようにするには全て太さを変えなくてはいけないことについて、つまり錯視の話。



生徒たちには明朝体で春夏秋冬と描いてもらう。祖父江さんの絶妙の講評でさきほどまでの辛気くさい、文字作りから解放される。



このデザインスクールを主宰する、中垣さんが時々参戦、さすがに永いブックデザインの経験でするどい質問。



さすがに親の金で学校に通っているのとは違って生徒は皆、真剣だ。


第3回目 1月23日



祖父江さんはほんとに文字おたくである。今回もタイポグラフィで文字の話。まず私は、仲間たちと結成している、新しい文字作りグループFONT1000のこと。
http://www.font1000.com



ついで、まもなく完成する、私のプランで開発している文字作りのソフトについて。このソフトが完成すると文字の変形の可能性が飛躍的に大きくなる。それに、漢字の偏と旁を合成するエンジンの併用で、フォント作りの労働集約的な作業からデザイナーは解放されるだろう。

このソフトの体験版は下記より手に入ります。試してください。
http://sic-shop.com/TypoGrapher/TypoGrapher_reyout1.html
取り扱い説明書も上のアドレスで手に入ります。



私が文字おたくであることは認めるが、祖父江さんのおたくぶりも相当なものだった。いやー、細かい、あらためてデザイナーは文字が基本であることを認識する。



ワークショップで生徒が描いたゴシック体と明朝体。祖父江さんの本が4年おくれで完成するそうです。今度は本当かな。

課外授業



講義は終了したが、中垣さんから、システム手帳でデッサンしていた印譜のご開帳をお願いされた。



沢山デッサンしたが石に彫るときはまた違う。



昨年の個展のために彫った全て。やはり、病気かな。失敗のものは削って、また彫って、とりあえず残したもの。殆どが「伸太郎」の文字。自己顕示欲のかたまりのような、感もなきにしもあらず。


▼2010-02-16 10:00
人生広告年鑑

昨年の秋、祖父江愼さんに、「365歩のマーチ」と「いっぽんどっこの唄」の歌詞を書くことを依頼された。リクルートの「人生広告年鑑」の装幀に使うとのこと。完成本が週末に届いた。
 依頼時の電話ではピンとこなかったが、歌詞を読んで納得。彼は10代の頃から、明らかに人とは違う才能を持っていた。今回の依頼でもさすがと感心させられた。
 表紙は「ぼろは着てても こころの錦 どんな花より きれいだぜ」で始まる「いっぽんどっこの唄」。歌詞は続いて「若いときゃ 二度ない どんとやれ 男なら 人のやれない ことをやれ」苦労して制作した広告コンクールの作品を収録する年鑑にピッタリではないか。あげくに、表紙のデザインは寒冷紗を貼りっぱなしで裁断なし。歌詞そのままに「ぼろは着てても こころの錦〜」である。



中は「365歩のマーチ」「ワン・ツー ワン・ツー ワン・ツー ワン・ツー」で始まり。「幸せは歩いてこない、だから歩いてゆくんだね の歌詞が今本淳さんの美しいウミウシの写真の上に乗った見開きページが続く。美しい写真を汚しているようで今本淳さんには申し訳ない。



そして「あなたのつけた足跡にゃ きれいな花が咲くでしょう」
と見事に出品者を讃える応援歌になっている。



そして、おしくも賞を逃した人にも優しく「一年365日一歩違いで逃がしても」「人生はワン・ツー・パンチ 歩みを止めずに夢みよう」
 そして、この見開きページとともに水前寺清子が歌う「365歩のマーチ」のDVDが巻末のお楽しみだった。




▼2010-04-22 17:09
365歩のマーチ

リクルートの人生広告年鑑のために、祖父江氏に依頼されて書いた「365歩のマーチ」と「いっぽんどっこの唄」の歌詞の原画が帰ってきたので軸に仕上げてみた。
 これまで文字だけの作品を仕上げたり、デザインに使用したものを作品とした記憶は殆どない。本来別物であるはずの美術とデザインの仕事が両立することは、珍しいことだ。もちろん、本人がそれも作品だと主張すれば、その範囲では成立するのだろろうが、デザインと美術の溝はそんなに浅くはない。
 若いころ、画家山口長男から投げかけられた「デザインと美術がせめぎ合う山の稜線を歩け。デザインに係わることで、美術が社会との接点を見失なわず、美術に係わることでデザインが大衆に迎合しなくて済む。」により、美術とデザインの両立を心がけてきたが、現実にはなかなか難しい宿題だった。今回の仕事は少しはその宿題に近づけたのかなと思っている。合計で6 点制作した。
 気持ちでは画像で紹介したいのだが、残念ながら一点につき、歌詞の著作権使用料が年間50,000円もかかることが判明する。6点全て載せると年間で300,000円になる。断念するしかない。ネット社会はコピー社会である。自由にコピーできる便利さ故に、これほどの高額になってしまうのである。


▼2010-03-01 10:00
25年ぶりにリニューアル

25年ほど前になる。静岡県三ヶ日町の小さな町づくりに関わった。「四辻坂」と名付け、4棟のRC4階建てを連ねたものだった。
http://www.ajioka3.com(→デザイン→建築→鉄骨RC他→四辻坂)

その設計の中から、25 x 25のアングルを使用した、スチール家具シリーズ、[アングル]が誕生した。
http://www.ajioka3.com(→デザイン→家具)

私の事務所では今もその試作品を使っている。
http://www.ajioka3.com(→デザイン→建築→鉄骨RC他→SPACE叢)



かなりの数を原型のまま制作してきたが、この度、岡崎の親しい建築家の自宅ロビーに置きたいとのこと、そこで、25年ぶりにリニューアルすることにした。と言って、大きな変化ではない。座を本皮にし、張り方を少し変えた。



どうだろう、自分では気に入っている。



2010-04-20 18:44
益子特製帆前掛

益子の帆前掛が出来上がった。



豊橋は最盛期には日産一万枚を生産していた時代があった。しかし、ブームは去り。懐かしのアイテムとなって久しい。しかし、最近の昭和人気にあやかったのか、見直されてきているようだ。これまで地場産業のデザインとの縁は少なかったが、デザイナーと織、染の職人の協力で、豊橋伝統の本染帆前掛の復活を目指して始めたのが Web Shop「本染帆前掛屋」http://www.homaekake.net
 予め用意した豊富なデザインに名入れも自由に。制作枚数も本染では受注し辛い二枚という最小単位から。新しく作業場や染の釜とボイラーも整備し、少しづつ本染帆前掛屋としての受注が始まったところ。
 今回の益子の帆前掛はそれとは別に、特注のデザインで制作。ロゴも新しく作成。なかなか楽しく仕上がった。イラストは娘の香里。写真のモデルは私。最近腹の出が目立つのが気に入らないノ。
 この帆前掛は4月29日(木)〜5月5日(水)の益子の陶器市で、見目陶苑の敷地内にテントで出店する、益子の友人キンタ氏が販売する。陶器市に出掛ける方はよろしく。


▼2010-05-21 13:07
世界を変えるデザイン

JAGDAという、日本で最も大きなデザイン団体の役員に任命されている関係で六本木ミッドタウンの事務局に月一回以上出掛ける。同じフロアにある、共有のギャラリーで開催されている「世界を変えるデザイン」が大変興味深い。世界人口の90%を占める貧困地域の命をまもり、生活環境を変えるためのデザインが紹介されている。これまで我々は残りの10%の富裕層に対して、デザインしてきたことへの反省と新たな活動を促していた。



水を遠くに人力で運ぶため、容器そのものをタイヤ状とし、それに紐を通して運ぶという、素晴らしいアイデアの「Qドラム」もその一つとして紹介されていた。
 これは従来の価値観ならば、最高の評価が与えられてしかるべきものだ。しかし、それを使いたい人には高額すぎ、買うことのできる人には必要がないという失敗例でもあった。(この「Qドラム」のデザイナーは製造を中止し、進化のチャレンジがすでに始まっている。)
 ここで紹介された実例は、おそらく日本の中央と地方の問題にも、大きな示唆を与えている。ここで提案するポイントは、手頃な値段、小型化、拡張性の3点。これは経済規模の小さな地方で、継続可能で発展が見込める活動。という課題に置き換えてみることもできる。
 これまで我々は疑似東京というたった一つの目標を押しつけられてきた。正確には、それが唯一絶対の価値として、今も多くの人が求めているのが実情だ。しかし、それは本当に唯一普遍の価値なのか。「多様な価値観」の存在を教え、勇気も与えてくれる展示だった。



同名の本も出版されている。興味のある方はぜひ。


▼2010-06-30 19:16
秋田日記

先週の週末から、秋田の県展のデザイン部門の審査委員長を依頼され出掛けた。
 26日、午後。中部国際空港から飛行機で秋田へ。通路を挟んで二人づつ、座席でそのまま立つと頭をぶつという、小型のプロペラ機にも関わらず、計四列の座席はかなり空いている。実は二日後の帰りの便はさらに空いていた。乗客はたったの19人。空港や航空便の在り方が喧伝される訳である。
 秋田空港着、県展主催者の迎えで市街に向かう。車内で、話のネタにと秋田県の人口を尋ねた、108万人に続いて、尋ねてないのに人口流失が止まらず悩みの種との声。市街が近づくにつれ、建物の間の空き地に雑草が目立つ。全国的に広がる市街地の過疎、空洞化は秋田もその例にもれないようだ。
 27日、朝9時から審査。デザイン部門は小学生から、70才まで、幅広い年齢層の作品を一堂に審査する。170点の中から特賞2、奨励賞10、入選66を選出する前提で審査を始めた。結果は最高賞の50才を除く11の入賞の内訳が、16才が2、14才が9点と思いがけない結果となった。



若い人材が多いのは喜ぶべきなのだろうが、出品番号順に同じような傾向、技法の作品が並び、デザインと漫画を混同している作品も多い。中学生の作品は指導者しだいである。デザインとは、美術の表現を競う場ではなく、人と人のコミニュケーションの道具であることを伝えるのは、我々の最も重要な使命であることを痛感する。しかし残念ながら、美術教師の大半は美術を専攻しデザインの本質を知らない。



秋田の専門委員の皆さん

午前中に審査は終了。審査会場に隣接する、秋田市立千秋美術館の岡田謙三記念館を見た。戦後、アメリカにアトリエを構え、日本の伝統的な美意識を根底にした絵画を描き、抽象表現主義の作家として活躍した。夫人の寄贈でこの美術館が開館されたとのこと。思いがけない僥倖で素晴らしいものをみることができた。さほど広くない会場だが、初期から晩年まで作家の歩みがよく分かるとてもよい展示だった。
 秋田のJAGDA会員が運営するデザインハブを見学する。商業ビルの一角にかなりのスペースで開設されたデザインギャラリーだ。



現在はJAGDAの保管するポスター作品が展示されていた。先ほどまで審査していた作品と比べて、さすがにレベルの高い作品が並んでいる。だが、まてよ、高度な印刷で美しく展示されてはいるが、この存在感のなさはどこからくるのか。さきほどまで審査していた作品は稚拙だが存在感はあった。我々はモダンデザインの追求の過程で重要なものを忘れてはこなかったか。先ほどまでの作品を稚拙と片付けるのは簡単だ。無礼と怒る方もいるだろう。しかしノ
 話は変わるが、ふと、このスペースの回りに目をやれば、空きスペースが目立つ。なにも展示されていない棚だけのスペースも多い。このギャラリーはこの商業ビルの空きスペースの活用と、活性化の一つの試みなのである。恐らく、このビルが正常に運営されていれば、デザインギャラリーとして使用できる立地と広さではない。その現状は残念だが、この活動が秋田の活性化と、デザインの地位向上に役立つならば、成果が楽しみである。
 夜の関係者一同が揃っての夜楽塾は審査員と地元の作家が語り合うという場だが、運営は今一で、語り合うという初期の目的は無理。それよりも、一ヶ月近くにせまった竿灯祭りの練習の囃しをききながら、出掛けた二次会は、地元のデザイナーと話する機会としては、はるかに有効だった。秋田の皆さんの好意が有難い。話題はここでも地方の活性化。

28日、朝11時、用意していただいた車で空港へ。



機内はガラガラ。地方衰退と無駄遣いのシンボルのような機内を愁いつつ一眠り。そういえば、8月は静岡県の芸術祭の審査に招待されていたことを思い出す。縁起でもないが、静岡も空港の是非が問題になっている県ではないか。しかし、秋田、静岡だけの問題ではない。東京一極集中の弊害。過疎と格差。そしてそれからの活性化は、地方の全てが抱える問題であることを実感した旅だった。


▼2010-08-30 17:17
静岡県芸術祭の審査で思う

8月24・25日。静岡県芸術祭美術部門の審査。デザインの審査と思って出掛けたが、初日の第一次審査は彫刻・造形・工芸・デザインをまとめて審査。
 翌日の第二次審査は洋画・日本画・水彩画・版画部門と合同で、受賞作品の決定。この審査方を民主的あるいは前向きと考えるか、答えは出ぬまま審査会場に。
 第一次審査の終了後、洋画・日本画・水彩画・版画部門を見学。あまりのレベル差に愕然。特にデザイン部門の基礎的技術の低さに
自分の作品でもないのに、恥ずかしい気持ちに。それでも、翌日の審査では少しでも、賞をだしていただけるように努力しなければと、気持ちを新たにするが、心は晴れない。
 デザインはそもそも絵画などでの表現ではない。その目的のために時に絵画的な手段を使い、時に書的な手段を使い、時に文学的な手段を使う。しかし、それは芸術としての表現ではない。芸術のように表現そのものが第一義の目的ではない。それはコミニュケーションのために、便宜的に使っているのである。確かにデザインとしての表現は存在する。しかし、それは第一義のコミニュケーションを果たすための道具としての存在なのである。
 問題は二つある。第一は、表現そのものが第一義の目的ではないことによる表現に対する甘え、言葉を変えれば追求・考察の不足。
 第二に、デザインはそもそも絵画などでの表現ではないのに、表向きは表現を装うことで、芸術祭の一部に、絵画部門と同列で組み込まれてしまうこと。結果として、デザインの表現としての未熟さを露呈してしまい、コミニュケーションの手段としてのデザインの地位まで揺らいでしまいかねないこと。
 そんな愚痴を言うならば、何故そのような審査に参加したのか。と問われれば二の句がない。気楽に審査員を受諾したことをいささか反省。しかしいまさら帰れない。
 審査方針は基本的に審査員の多数決、絵画部門4名、私の担当した部門は3名。我々の部門には厳しい結果になると予想したが、絵画部門の審査員がバランス感覚を発揮したのか、それとも、制作者の審査員は、それぞれの専門分野には、厳しい評価をしがちな傾向が出たのか、非常に配慮された結果となった。
 審査が終わり「美術に係わることでデザインが大衆に迎合しない。デザインに係わることで美術が社会との接点を見失わずにすむ。美術とデザインが造る山の稜線を歩け。どちらへ足をとられても谷に落ちる」
と、画家・山口長男から、なげかけられた言葉を、しみじみ噛み締めている。


▼2013-02-21 17:14
「価値観」について

豊橋駅の横に新しい劇場ができる。そのこけら落としのポスターをデザインした。出し物はこけら落としならぬ、「高座開き 立川志の輔独演会」



「高座開き 立川志の輔独演会」のタイトルは今年発表しようとしている明朝体。制作中だが、試しに使用してみた。普通の明朝体にしか見えない人もいるだろう。しかしである。見る人がみれば、分かる筈だ。ひらがなはその明朝体にセットしようと思う9種類の仮名の一つ。最も書道の要素の強い書体である。イラストレーションは娘の宮田香里。
 劇場名は穂の国とよはし芸術劇場PLATこれからの地方に何が必要なのか。全て足りないのが地方なのだが、最も深刻なのが物事の「価値観」の喪失だと思っている。まさしく、ここを舞台に正しい価値観が創造されることを期待している。
 「価値観」とは判断の基準となるもので、行動の規範ともなるものである。「価値観」とは「美意識」と置き換えてもいい。
 新しい年を迎えて、早二月が過ぎようとしているが、その間に、それに関することに幾度か遭遇した。前回のブログの祖父江愼氏との講義もその一つである。
 また、我々の出版社「春夏秋冬叢書」もその「価値観」の提示が設立の目的の一つだった。
 JAGDA(日本グラフィックデザイナー協会)の中部地区の会合の、
懇親会でのこと。一部の会員から、東京(中央)なにするものぞとの主旨の発言が出た。それだけなら、ハ元気があってけっこうなことである。しかし、残念ながら東京の一部のデザイナーは、地方のデザイナーよりはるかに優秀である。才能だけでなく、努力も凄い。そのことは、前回のブログに祖父江愼氏のことで書いたとおり。自分の勉強不足を棚に上げて、息巻いても、相手にもされないのが実情である。
 最近の貧しい「価値観」。豊橋カレーうどん。書くだけで、口の中がベタベタしてきて、気持ち悪い。山かけうどんも、カレーうどんも、カレーライスもそれぞれ立派なメニューである。それを一つの丼で食べようなどとは、なんとも貧乏くさくて、耐えられない。そのポスターも品がない。そのロゴタイプの書もひどい。あの手の下手物ならではの美意識なのだろう。
 豊川で行われるB1グランプリ。B1グランプリそのものに、是非はない。しかし、その開催で大騒ぎするのはみっともない。ハB級グルメはどこまでもB級の自覚があって、その範囲で価値があるのだ。わざわざ並んで食べたくなるほどのものか。


▼2013-07-24 11:13
「未来の印刷」大賞2014

学生を対象としたコンペティションの審査を
ブックデザイナーの祖父江愼さんとすることになった。






▼2014-01-10 13:02ハ
鳥居と社の掛け軸

昨年、JAGDA中部による展覧会「式年遷宮・再生 日本のこころ」に出品した作品が帰ってきた。とは言っても、時間が合わず、とうとう会場にも出かけられず、出来上がった作品とは初めての対面だった。



神宮で使われる、いわゆる伊勢和紙に、直接プリントしたもの。鳥居と社を筆で文字を書くように描いてみた。
 いつも思うのだが、デザイナーが展覧会用に作品を作ることに、どのような意味があるのだろうか。いつも、疑問を抱きつつ制作している。納得できる答えはでないが、説明に堕さず、自分らしい表現につとめている。


▼2014-03-17 16:40ハ
景象98号

景象98号が発行された。今号も表紙のデザインと表紙の言葉を書いている。

分岐を立方体の内側に持つ12の線分
「面白さ」をことさら求めるのは面白くない。しかし、結果として造形的な面白さがなくては「美術」とは言えない。と常々思っている。
 そこで「一本の枝から枝分かれする細い枝を12本切り取る。そして、切り取った部分から、それぞれ25センチメートルを残して再び切り取る。25センチメートルの理由は、それぞれの枝に、枝分かれが必ず一つ残るように切るためである。その枝を、立方体が形づくられるように順に両端を縛っていく。枝分かれは必ず、立方体の内側に向けて縛っていく。」と閃いた。
 「閃き」とは、広辞苑によれば、瞬間的な鋭い光。であり、鋭敏な頭の働き。すぐれた思い付きや直感である。この思いつきが、鋭い光や、鋭敏な頭の働きや、特別すぐれているとは言い難いが、私にとって重要なのは、その手順の総てが「瞬間的な直感」で決定されたことである。
 枝分かれの方向に、無頓着に縛って出来る立方体も面白い可能性はある。それはこの拙文を書いている内に気がついたが、恐らく制作することはない。制作の動機や結果は、試行錯誤の賜ではない。「閃き」だけが「秩序」と、それに豊かさを加える「面白さ」を同時に生むことができる。



と、毎回同じような作品で同じようなことしか書けない。しかし、今回は少し発見があった。
 何時も、表紙の下半分でデザインしている。今回の作品は左右に合わせて入れてしまうと作品が小さくしか入らない。作品の全体は見せたい。しかし、小さくては表紙にならない。そこで閃いた(?)のが、写真を裏まで回すこと。景象の表紙を担当してもう60号以上になる。つまり、こんな簡単ことに気づくのに、15年以上かかったことになる。それも、前回の「そう」の表紙が山本宏務の写真を同じように回して使ったからである。情けないが、所詮、ワンパターンの人間なのだ。それでも、柳の下に泥鰌がいつも残っているといいのだがノ 。


▼2014-04-11 09:10
PLATラインアップポスター

穂の国芸術劇場PLATの2014ラインアップのポスターが完成した。昨年はこけら落としの志の輔師匠のポスターを担当したが、今年は2014年度の年間スケジュールのポスターをデザインした。



情報が羅列するだけの誠に地味なものだが、このような仕事こそプロとしての仕事が問われる。サイズはデザインは同じでB1とB2の2種を制作した。画面の中央部分の演目のタイトルと出演者の文字は、現在制作中の明朝体「SHIN明」を使用した。まだ、フォントになっていないので、一字一字、文字をリストから探し出し、手作業でならべるという、大変手間暇かかる作業だったが、担当者に文字の違いに気がついていただき、ホット一安心。
 しかし、早く、完成させてリリースしなければ、完成するぞ、完成するぞ、と言うばかりの「狼老人」になってしまうぞと、あせっている。いましばらく、お時間をください。


▼2014-06-10 10:20ハ
Porte Bonheur open

バブル期の象徴であり、遺産ともいうべき浜松市田町のビオラ田町が、劇場&ウエディングの多目的な宴会施設に生まれ変わり、Porte Bonheurとしてopenした。

シンボルマークは格子に鳥居



Porteはフランス語で「門」、Bonheurは「祝福」。その場には、かつてメ旅立ちのゲートモ秋葉の大鳥居が建っていた

テーマは、アート。
カタログは
Porte Bonheu Story Porte Bonheu Wedding Porte Bonheu Banquet Porte Bonheu Theater の4部作



表紙は浜松の現代美術作家川邊耕一氏の作品、場内にも彼の作品33点が飾られている。



それを納めるパッケージ







▼2014-06-11 13:00
第17回日本デザイン書道大賞

一昨年に続き審査を担当する。日本デザイン書道作家協会(JDCA)主催の日本デザイン書道大賞が開催される。



応募資格は国内外のデザイン書道家、デザイナー、書道家などの個人。国籍・職業は問わない。


▼2014-09-04 17:35
四谷の千枚田五平餅

愛知県新城市四谷の鞍掛山麓に、420枚もの棚田が広がる。



この美しい四谷の千枚田の保全を応援しようと計画された「天晴れ四谷の千枚田五平餅」のパッケージが完成した。



この千枚田から収穫される「ミネアサヒ」で作る五平餅だ。出回れば、全国特A間違いなしの品種だが、作りにくいため、愛知県と九州高千穂で少量だけ栽培されている幻の品種。



小型で食べやすい60gの五平餅の真空パックが10本のセット。八丁みそたれとくるみたれ付。
それに、鞍掛山麓千枚田保存会の小山舜二さん撮影の絵葉書16枚をパッケージにセットした。



葉書16枚の宛名面には写真に関連する千枚田と地域の解説をつけ、それぞれが小さなパンフレットになっている。



16枚目は、千枚田のイラストマップ。 イラストレーション:宮田香里



このような形で、地域と関わらしていただけ、これまでの経験が生かされるのならば、この上もなく、有り難いことと、感謝した仕事の一つ。