ブログ デザイン デザインの話 韓国

▼2011-09-28 16:50
Asia Creative Academy 2011秋 其の1

9月16-18日に、韓国ソウルのAsia Creative Academy (ACA)での講演とワークショップのため出掛けた。写真が今日届いたので遅れ遅れの報告。
 今年の1月に続き2回目となる。前回は寒さと不慣れさでいささか大変だったため、ブログのタイトルは「ソウル極寒不安日記」とつけたが、今回は2度目とあってさすがに前回のような不安もなく楽しめた。しかし、出発前日に残暑の影響でソウルは停電。そろそろ涼しくなるはずのソウルは、まだまだ暑かった。講演は前回と同じく夕方7時から。

演題は「書とCalligraphyの間」。



最初の映像。木炭、ロゴタイプ、制作中の明朝体の伸太郎

文字に秘められた、民族の歴史と美意識。
美術としての書から、書の様式化の結晶としてのタイプフェイスまで、「文字による形」それは書くことから生まれ、民族の美意識にそれは育てられる。
 書は一般的には英語ではCalligraphyと訳される。しかし、美術としての書をCalligraphyと訳すことには、大いに疑問を感じている。
 Calligraphyが美術用語として使われる場合には、聖書などの古写本の文字のように特定のスタイルをもつ書法を指している。そのため、Calligraphyはスタイルや装飾や技術の意味を持つ。そのような性質を否定することから成り立つ美術としての書にCalligraphyは相応しくない。
 それとは別に、Calligraphyが持つスタイルや装飾や技術には文字を生み、育てた漢字文化圏の民族の美意識が反映され、それを基盤に、現代のタイプフェイスやロゴタイプや様々なタイポグラフィは生まれる。



ポスターに使う書体も常に古筆を参考にする。



書と建築の錯視の共通性。



線の交点に発生する錯視修正の実例とパッケージデザイン。

書とカリグラフィの間にはこのような大きな隔たりがあるが、私はその間を行き来し、様々な作品を作ってきた。私は文字を素材に制作するとき必ず古筆を参考にする。どれほど思い切ったデザインをしようとも、それを踏み外さない限り、その結果は必ずや説得力を持つ。
 その一端を紹介しながら、書とは何か。カリグラフィとはなにか。はたまた、書と書道の違いは、あるいは、書とカリグラフィとの違いとは。アートとしての書に求められる表現とはなにか。デザインとしてのカリグラフィに求められている表現とは、タイプフェイス・ロゴタイプにどのように生かされるのか。などなどノ 。書とカリグラフィの間に共通する民族の美意識について語ろうとしたのだが、どこまで語れたか、一抹の不安は常につきまとう


▼2011-09-29 12:42
Asia Creative Academy 2011秋 其の2

講演の最後に見せたのは、一昨年の作品、コラージュによる絵巻物。明治時代の物理の教科書と筆のドローイングに木炭による書、教科書の紙、白や茶色の和紙、色のトレーシングペーパーなど、様々な用紙を繋いだもの。



そこで明日からのワークショップの課題発表。
 各自A4のコピー紙程度の用紙に自由にドローイングする。全員が制作したドローイングから10枚以上を選択する。そのため、自らが必要とする枚数を制作する。ドローイングの選択は順に一枚づつ、提出した枚数になるまで机に広げたドローイングから選ぶ。
 選択したそれぞれのドローイングを一つの作品と考えて、それぞれのドローイングを生かした作品集として仕上げる。一枚のポスター、あるいは本、巻物、立体など形状に制約はない。ドローイングに書き込みなどはしない。必要に応じて表紙を作り、文字も入れても良い。



それぞれが制作したドローイング。なかなか面白いものが集まった。しかし、順に選んでいくので、好きなものが手にはいるのではない。そして、結局はみな同じようなものを手にすることになる。選んだ結果を眺めてみな困惑した表情になっている。翌日のプレゼンテーションが楽しみ。



最初のプレゼンテーション。折りたたみ形式でドローイングの間に色をはさみドローイングとドローイングの干渉を避けている。
 全員で13名。全員が大学を卒業後、さらに学ぶためにACAに集った学生ばかりだ。次々と面白いプレゼンテーションが続く。



全てのドローイングを繋ぎ、一枚のポスターにまとめ、ドローイングの間に、黒い太線で我の文字を入れている。文字はドローイングから浮き上がり、立体のポスターになっている。



全てのドローイングを一列に繋げ、二つ折りにし、トイレットペーパーホルダーに巻いている。それぞれのドローイングも見ることができ、伸ばしたドローイングも面白く見せている。トイレットペーパーに見立てたアイディアも秀逸。



左がACA指導総監督の金さん。デザイナーで通訳もしていただいた。この方がいなければ私はお手上げ。



それぞれの作品を前に記念撮影。みなそれぞれががとても優秀で 今回も楽しい講演とワークショップだった



2013-08-21 08:56
日韓の美意識

一昨日、韓国のデザイナー、キムハギョンギュン氏がお嬢さんを伴って、私の事務所に来られた。目的は、今年12月、ソウルで行われる「2013大韓民国国際ポスター招待展」とそこでのシンポジウムの説明と招聘。それと、彼が選定したデザイナーとその仕事を紹介する本の取材。それぞれについては詳細が決定次第ブログで報告する。その取材のなかで木炭窯で焼き上がったばかりの抹茶茶碗を見た彼の言葉。
 「日本の工芸は左右対称というか、乱れがないのが特徴だと思うのだが、味岡さんの茶碗はそれとは違う。日本の伝統の美意識の枠から外れている。」驚いてしまった。日本の美とは「わび・さび」に代表される、割り切れない美、完璧ではなく、どこか欠けた部分のある美であり、私自身、正しく、その美意識の中で制作し、そのような美を求めてきた。
 彼は話の中に民芸運動の中心人物でもある柳宗悦や、柳が朝鮮の美術に関心を持つきっかけとなる、朝鮮陶磁研究家の浅川伯教などの名が自然と出るほど、その面の知識は豊富である。私がソウルのACAで講義する合間にサムスンの美術館で、朝鮮陶磁の素晴らしさを語ったのも彼だった。
 彼によれば、朝鮮王朝時代、いわゆる「李朝」の白磁は例えば、壺などは、決して左右対称ではなく、円形のものでも正円ではなく幾分欠けた部分に美や無限の可能性を見いだすのだという。彼は、その意味で、日本の工芸は完璧すぎて面白みがないという。反論がないではないが、現代の日本美術や工芸そしてデザインにおいて、コンセプトより、技術というか、完成度というか。そのようなものに価値を認める傾向があると、思いあたるふしもある。
 しかし、歴史に残った日本の名品には確かに「わび・さび」に通じる美が存在するとも思ったが、考えてみれば喜左衛門井戸に代表される高麗茶碗は朝鮮半島で作られた物だった。しかし、朝鮮半島では、朝鮮陶磁は中国陶磁と同様に高い技術をもって精緻に作られたものがその主流で、日本でいう高麗茶碗の趣味は主流ではないとされている。
 つまり、朝鮮では雑器として、高い評価をされなかった高麗茶碗を利休を始めとする茶人たちがその価値を高めたと、私たちは解釈してきた。
 かように、彼我の価値観や認識は違う。国際交流、相互理解とは、言うに易しく、実際はいかに難しいことか。この一事でも理解できる。
 ただ、言えることは、彼が日本のデザインや工芸に飽き足りないものを感じ、それとは違う「美意識」で制作する私を評価し、今回の招聘や、取材にいたる所以でもあるのだろう。ハ
 そして、彼は一言。「日本では、味岡さんのこのような作品を多くの人が理解できるのですか。」う〜ん 。痛いところをついてきた。


▼2013-11-12 18:17
2013 韓国国際ポスター展

来月開催される「2013 韓国国際ポスター展」の作品を発送した。
 この展覧会は、韓国、中国、日本、台湾、ポーランドのポスターデザイナー300名による招待部門と、ハングルを創ったことで知られる世宗大王を讃え新設された、韓国国内からの公募部門「世宗賞」のコンペティション作品で構成される。
 私は、招待部門での出品に加え、日本に二名割り振られた「世宗賞」の審査と、会期中に開催されるシンポジウムのパネラーを担当する。
 デザインというものは、基本的に東京中心である。それは、20年以上前に結成された東京タイポディレクターズクラブの例をみても明らかである。
私はその創立メンバーの一人だ。創立当時、80名でスタートしたが、関東圏以外のメンバーは、私と京都に一人の、あわせて二人だけだった。
 知っての通り、私は東京に比較すれば片田舎の豊橋に住んでいる。東京に仕事で行くことはあっても、住んだことはない。東京中心で行われているデザインの動向には、興味もなければ、知識もない。
 そんな私に、「世宗賞」の審査と、会期中に開催されるシンポジウムのパネラーの招聘である。私以外は、経験も知識も、そして話術も、優れものばかりだろう。おそらく、期待されるのは、グローバルな視点でのデザイン観ではない。そんな、時代に関係なく、独自に歩む、デザイナーの視点が求められるものだろう。と、勝手に決めつけ、何の準備もせずに、自然体で出かけるつもりだ。
私の出品作は以下の2点。






果たして、これがポスターといえるものだろうか、と、思いつつ、送った。送ったあと、いつも「これで良かったのか」と、不安になるが、自信満々な仕事に結果がついた記憶はあまりない。


▼2013-12-17 12:27
2013 韓国国際ポスター展 2

2013年12月6日から、ソウルデザインセンターで、韓国、中国、日本、台湾、ポーランドのポスターデザイナー300名による招待部門と、韓国国内からの公募部門「世宗賞」のコンペティション作品で構成される「2013 韓国国際ポスター展」が開催された。

私は、招待部門での出品に加え、日本から2名が指名された「世宗賞」の審査と初日に開催されるシンポジウムのパネラーとして、4日にソウルに向った。「世宗賞」はハングルを創ったことで知られる世宗大王を讃えて新設され、来年からは「セジョン国際ポスタービエンナーレ」に発展させる予定と聞いている。
 今回のシンポジウムのテーマは「セジョン国際ポスタービエンナーレを世界的に定着するために」であった。そして、開催間近になって、昨年開催された「第十回世界ポスタートリエンナーレトヤマ2012」について、レクチャーしてほしいとの、連絡が届いた。
 このトリエンナーレは、日本で唯一の国際公募展で、昭和60年の創設以来、第10回展を迎える今回は、世界53の国と地域より4622点ものポスターが寄せられ、入選・受賞作品に審査員による招待作品を加えた約420点のポスターが紹介された。
 しかし、私はこれまでポスター中心のコンペティションには興味を持てずにいた。昨年は、トリエンナーレ会期中に、日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)の総会が富山市で開催された。私も役員の一人として出席、トリエンナーレは、総会に組み込まれていたが、結局、見ていない。
 招致時には一言の説明もなく、当然のように、説明できると考える、無謀ともいえる主催者の楽観ぶりには驚かされることしきりで、当初、困惑するばかりであった。しかし、いまさら辞退もできず、しかたなく、まずは審査講評を分析することから始めた。受賞作品の審査員は4名。それぞれ、招待の礼と受賞者への賛美を除いた、主要な発言は以下のようであった。

永井一正(日本) 
○媒体としてのポスターの斜陽。
○ポスターは経済性より社会性、文化性に重点が置かれるようになった。

松永真(日本) 
○ポスターについての内容や状況の説明の必要性。
○ポスターが死に瀕している。
○ポスターが物や表現の代理人という立場から、より自主的な表現をもったものへと発展し、第六回からは自主制作部門が開設された。
○ポスターはデザイナーの自画像。個々の発言の重要性が増している。

アラン・ル・ケルネ(フランス) 
○言語、文化の違いを形だけで乗り越えることができるのか。

カリ・ピッポ(フィンランド) 
○視覚的な美しさと、何を伝えたいかの情報がもっと必要。
○視覚コミュニケーションは多くを言葉に頼る。

すこし補足すれば、宣伝/広報=ポスター、という考え方は日本では、1970年代で終わり、特定の場所にだけ貼られるポスターはその一部に過ぎず、選択は多様化している。デザイナーのポスターへの絶ちがたい憧れのような意識が存在し、自己表現の場として、他の媒体に比較し優越性があると多くのデザイナーは考えている。このことに触れたのは、日本の審査員のみで、ヨーロッパの審査員は触れていない。これは日本の特殊性なのか、それとも、あえてそのことに、触れなかったのか、文面だけでは判断できない。

最終的には、次の3点の課題に集約される。
1. ポスターが使命を終えたいま、ポスターの可能性とは何か。
2. ビジュアル審査を越え、言語、文化の違いを越えた審査はいかにしたら可能か。
3. 視覚コミュニケーションとしてとしての言語の重要性をいかにしたら再確認できるのか。
と、このような内容を、ポスターという言葉を韓国、中国、英国、日本の各国の文字で表現したボードを使用して、まず説明した。



具体的な提案として、
全ての応募者がハングルのタイプフェイスを制作し、それを使用したポスターを出品することを提案した。それが、可能であることを示すために、私もこのシンポジウムのために、ハングルに初めて挑戦。「セジョン国際ポスタービエンナーレ」をタイプフェイスにすることを前提にデザインした。



そして、その文字を使用して、制作したボードが



右より、ハングルで「タイプ」「フェイス」「世宗」、下に横書きで「ポスター」である。「ス」の文字がダブっている。
このような課題に挑戦すれば、ハングルを創成した世宗大王の顕彰もでき、若い文字「ハングル」のタイプフェイスも完成されていき、韓国のグラフィックデザインにこのビエンナーレが大きく貢献できるだろう。また、欧米や日本のタイプフェイスデザインの理論や技術もまた、この課題を通して、ハングルに貢献できることを、初めて挑んだハングルで私は確信した。
 その後、デザイン誌、日本の「アイデア」と韓国の「365」の編集長から、私たちと同様に、現状のポスタービエンナーレに対して興味を持てず、取材も行っていないとの発言もあつて、シンポジウムは終了した。