孔子ほど優れておらずとも、程度の差はあれ人は誰もがおおよそこの言葉のような人生を歩む。私にしても、それまで無関心だった美術やデザインに興味を持ったのが高校一年、15の春だった。書体のデザインを始めたのが30歳の始め、東京での初個展も30歳である。40歳のころは何事にも無鉄砲に自信があった。天命であるかどうかは疑わしいが、五十歳で上梓した「神々の里の形」は古本市場で新刊3,800円が約3倍の12,800円にもなった。この出版が切っ掛けで「春夏秋冬叢書」を仲間と共に設立、ここまではさほど(?)孔子の教えと違わない。
そして60歳、1949年生まれが今年還暦を迎えた。私もその端くれだ。平均寿命も男で約80歳となり。還暦から20年をいかにして過ごすか、団塊の世代が直面する課題である。孔子の教えでは「六十にして耳順がう。」つまり、「他人の言葉に素直に耳を傾けられるようになる」筈だった。ところが「年寄りの冷や水」と言われてもしかたのないことを始めようと思っている。
我々が若かったころ、アメリカでは「ベトナム戦争」に反対し、徴兵を拒否し、自然と平和と歌を愛し人間として自由に生きようと呼びかけ、ヒッピーが生まれた。中には「Back to nature」をモットーに自然に回帰する者も現れ、我々の世代の少なくない数が同調した。しかし「戦争」「徴兵」という現実を持たない日本のヒッピーは、「フーテン」と呼ばれる日本独特のスタイルのヒッピーを生んだ。そこに現実逃避の臭いを感じ、馴染めず、といって高度経済成長の波にも乗れず、当時誰もが疑わなかった村から都市へ、あるいは日本的なるものから西洋的なものへの転換も果たせず還暦を迎えてしまった。
前置きが長くなってしまった。ようは、遅ればせながら山に「アトリエ」、別の言い方ならば若い頃にできなかった「Back to nature」を実践しようというのである。70になってしまっては体力に限界があり、今が最高(最後?)のタイミングと周りを説得し、自らを鼓舞している。しかし「自然に帰る」といっても生まれた状態、つまり一人で行こうというのではない。嫁さん、家族道連れである。60年も生きてきたスタイルはもう変えようもないし、一人では生きられない。我慢して付き合って頂くしか仕様がない。