ブログ 美術 陶器

▼2013-06-04 10:48
久しぶりの作陶

山野草料理の会で器が少し足りなかった。そこで、久しぶりに益子に作陶に出かけた。6月1日から6月3日の午前中。目一杯作ってきた。あいも変わらず、全て手びねり。轆轤を覚えることも薦められるが、どうも定形の器になりそうで、その気にはならない。



「陶器ばかりはまったく土と焼き方じゃ」「細工は勉強すれば誰でも出来る」 と言ったのは加藤唐九郎だった。それは造形力の足りない陶芸家の言葉だ。
 私は形が一番である。もちろん、土も焼きも良いに越したことはない。しかし、それこそ学べばなんとかなる。唐九郎は「細工は勉強すれば誰でも出来る」という。つまり、誰にでもできる程度の形しか作っていないということではないか。
 「窯出ししても全部割っちゃう」とも言った。これは、厳しさでもなく、妥協を許さない姿勢でもない。100作って、1しかできないのならば、常に土や焼きの偶然に頼っているということだ。それも、100の1という、プロとは思えない確率なのだ。それを美徳と言い伝える神経が理解できない。
 彫刻の造形とはとてもとてもそんなものではない。一つ一つの手の動きがそのまま粘土に形に反映される。絵画のマチエールとはその確立された一筆一筆がハ画面に残された結果なのだ。一瞬の「まよい」も許されない。そのまま「まよい」は軌跡となって残ってしまう。



器である前に彫刻であってほしい。それに料理が盛られ、酒が注がれるものでありたい。器と料理はお互いが依存しあうのでなく、それぞれが自立し、共存する。そんな関係でありたい。
作業が終わるまで、突発的におきる全ての出来事に対して瞬間の判断が求められる。




化粧がけで割れた皿だって、ガッカリすることはない。それぞれ別に釉薬をかけ、焼き上がった後で金接ぎすればよい。かえって面白いものに仕上がる。ズレてもかまわない。



穴が開いた器だって、そこまで汁を入れなければよい。焼き上がってから、別の素材で埋めたっていい。タブーなんてものはない。ハ傷を恐れることはない。それが商品だからと、使われる器だからと、必要以上に安全策をとっていないか。そのまえに大事なことがある。どうしても作りたいものなのか。それしか、作れないのか。今の自分にとって精一杯のものか、自己をどこかで欺瞞していないか。



物を作ることは、自分への絶え間なき、挑戦である。窯だしが楽しみである。(写真は全て、益子のキンタ撮影)
最後に、このブログを読むであろうキンタ氏にありがとう、後はよろしく。楽しみにしています


▼2013-06-19 19:33
大漁(?)の陶器が届いた。

大きな段ボールが8箱届いた。中から、これでもか、これでもかと、出てくる。我ながら、短期間に、よくぞ作ったものだ。6mあるテーブルでは収まり切らず、結局行って戻ってきてしまった。これでも小さなものは積み重ねてある。



今回は、野草の会の皿の追加と、ぐい飲みを作りたかった。



今回のぐい飲みに、これまで作ったのを加え、小さな会場でぐい飲み展なんかどうだろう。



化粧掛けで割れた皿は、それぞれ、違う釉薬を掛け、金接ぎする。楽しみである。



今回の新しい形の長皿。料理を早く盛ってみたい。



やや温度が上がりすぎかなと思わぬではないが、やはり、陶芸は形が一番だと思う。焼きの状態は、それぞれだが、形さえ、なんとかなっていれば、それなりに、見えるものだ。
 土との対話は、土に全てを委ねること。
 肝要なのは、迷わず、時間をかけず、直さないこと。そのためには、全ての条件を整理し、完成の形を頭に描き、最小の作業で作業を終えるようにする。土にさわることは極力少なくすること。そのためにも、土がありたいように、手を動かすのだ。自分の作りたい形のために、手を動かすのではない。


▼2013-07-01 10:24
金接ぎ最初の一碗

化粧掛けで割れた器の金接ぎを始めた。こんな初期の段階で割れたものなど本来は廃棄処分したほうが楽なのだが、



貧乏性なのか一度手にかけたものをなかなか捨てられない。と言って、制作に時間をかけるのでもなく常に一発勝負で、とにかく粘土にさわる時間、手間を最小にしようとばかり、考えているのだから、不思議なものである。
 こんな小さな器、最初から作ったとしてもたいして手間もかからない。金接ぎの時間を考えれば、その間で10や20は成形できる。のだが。
 個々の制作の、そのわずかな時間にも様々なアクシデントがおきる。その瞬間にいかに対応できるかが、常に問われている。一瞬もおろそかにはできない。
 専門の陶芸家ならば、おそらく捨ててしまうのだろうが、これはチャンスなのだ。金接ぎし、それぞれに違う釉薬を掛けてみれば
予期せぬ面白い器が完成する。これをわざと割って作るとなると、それは違う。

金接ぎ完了。やはり、面白い器ができた。




▼2013-07-02 16:40

金接ぎ終了

金接ぎが終了した。割れた器は、金接ぎすることで予想をこえて良くなることが多い。今回は化粧がけと窯割れとで、合計10枚の金接ぎをした。一応に、どれも、豪華になった。では、全て割って接げばいいかと言えば、そんなことはない。割れてないものも、割れたものもそれぞれに美しい。で、なくてはいけない。









裏側には補強をかねて、木で高台を作ってみた。専門の方からみれば、とんでもない邪道なんだろうな。四角や丸の高台は底が平らではないので、直線の木を貼り付けた。2本と4本の違いは、割れ方の違いから。怪我の功名で、これならば、荒い底作りでも机を傷めることはない。その上、皿の立ちが上がって一段と見栄えがする。
 物作りにタブーなんてものはない勝手に自分で作ってそれに縛られているのがタブーなんだ。



▼2013-07-16 11:08
初めての木炭窯 奮闘記1

木炭窯なる、陶器の焼き方があると陶芸の彩色技法(理工学社)ハ小島英一・堤綾子共著で知った。早速、手持ちの耐火煉瓦を積んで、窯を造った。



窯のサイズは91x91x71.5cm。内寸は45x45x48.5cm。ロストルの上に作品を置き、その間と上に木炭を入れ、ロストルから点火するだけ。炭に火がつくと、瞬くまに炎が1mほどあがる。



その本には、燃える炭の上に楽焼のように作品を投げ入れる方法も書いてあったので、窯の上で乾燥してから投げ入れた。



これが失敗だった。いつまでたっても楽の作品の温度が上がらない。もたもたしている内に、本来の作品が顔を出してきた。こんな調子で温度はいっこうに上がらない。
 炭は激しく燃え、投げ入れた器はどんどん下がり、ついに窯詰めした作品と接してしまった。あきらめて、上から、炭を投げ入れ温度を上げることに専念する。投入し続けた炭はついに80kg。
 窯のなかでは、釉が溶け始め、作品と作品が接した部分は冷めたら外せなくなる。これ以上は無駄と、覚悟を決め全て、引き出し、水につけて、急冷。
 その悪戦苦闘の激しい作業は由美子さんに撮影を頼んだのだが、ハ全て失敗して、一枚もない。最近のカメラは失敗するのも難しいのに不思議なことだ。
 釉薬を掛けた作品の多くは温度が上がらず、生焼きだった。それでも幾つかはどうにかなった。















 無釉のものは古墳時代から平安時代まで生産されたという須恵器に近い。当時、穴窯で還元焔焼成され、1100度以上で焼かれたとされるので、その辺りまで温度は上がったのだろう。
 窯に入れた作品と作品の間や、窯壁とのスペースをゆったり取り、ロストルの改良など、窯に手をいれれば、さらに温度は上がり、次ぎは満足できる結果が出るだろう。再チャレンジする。生焼きの作品は二度焼きを試みる。釉はあまり厚くないほうが良いようだ、炭の灰が降り注ぎ、無?で十分である。厚い釉に、さらに灰が被り作品が汚れがちだ。併せて6種類ほどの原土を使用した引き出して、水につけ、急冷したが、ぐい飲みは一つも割れなかった。などなどデータはとれた。
 初めての木炭窯は成功とは言い難いが、よい経験をした。次ぎはきっと完璧。としたいものだ。


▼2013-07-23 13:54
初めての木炭窯 奮闘記2

二度目の木炭窯への挑戦。窯を改良。主な改良点は、ロストルの隙間を少なくし、窯壁と作品の間が開くようにする。空気取り入れ口を二カ所にして落ちた灰を取り出しやすくする。炭の投入は横からとし、二カ所とする。天井を作り、炎が折り返して煙突で放出されるようにする。









ロストルの上に作品を並べ、道具土で安定させる。道具土をあてがい、作品を3段積み上げる。





作品の間に炭を入れ、作品の高さの2倍ほど炭をいれる。煉瓦をさらに積み、天井、煙道、炭の投入口、煙突を作って前日の作業終了。

窯たき当日朝、7時20分。杉の枯葉、小枝を空気取り入れ口に入れ、点火。





8時5分。炭の投入口から炎が見える。炭の投入口を閉じ、しばらくすると煙突から炎が1m以上立ち上る。



煙突から上がる炎が小さくなる頃に炭を投入。途端に炎が上がる。以後、約40分間隔で6〜9kg程度投入を続ける。その間、炭を細かく割る作業も続く。



15時12分最後の炭を入れる。炎の収まるのを待ち、順に煙突を取り外し、煙道・空気取り入れ口を閉じる。しかし、隙間から、炎が昇り続け、窯から離れられない。



屋根に鉄板を載せ、その上に小枝を30分以上載せ、煙も上がらないのを確認し、湯谷温泉、19時14分発の各駅停車で帰宅。窯場での滞在、正味12時間。長いようでもあり、短いようでもあり。
 翌朝、窯出し、まだ熱い窯から、作品を取り出す。作品は倒れ、隣の作品と釉薬で接着したり、積み上げた作品の重さに、炭の重さやその投下の衝撃が加わり、つぶれた物もある。道具土を伝い釉薬が流れ、ついには下の作品と一体となった物有りで、それは凄い惨状だった。道具土をはがし、作品をばらす間に割れたものも多い。それらは金接ぎして生かしてやろう。割れた上に、下の作品と堅く接着したものは、花器にして、さっそく、屁糞葛を生けてみた。なかなかだ。



悪戦苦闘だったが、やはり風合いは格別のものがある。本当に小さな窯だが、成果は上々。





この窯は燃えて小さくなった炭が作品の横を埋めることで、温度が上がり、焼き上げるので、作品よりも上の炭の燃える熱の多くは空に消えてしまう。もったいないな。次ぎの窯たきにはその熱を棚で受けて焼くことが出来るように改良しよう。耐火モルタルで固めた窯はその後とする。
 今回の炭の使用量は108kg熱帯雨林がこれだけ消えていったと思っていたら、法律で、30年以下の樹木は切ることが許されず。伐採後には植林が義務づけられていると、パッケージに書いてあり、罪悪感は幾分和らいだ。▼2013-08-08 10:47
初めての木炭窯 奮闘記3
かの木炭窯は木炭を上から投入し、その木炭が燃焼し、その灰を釉薬とするため、通常の窯のように棚板で内部を分け器を階層で焼くことができない。ハつまり、窯の底面に並ぶ量しか焼けないのである。その上、器と器の間も木炭が落ちるスペースが必要。そのため、底面だけでは、大ぶりなぐい呑みを18個並べるのが精一杯。そこで、道具土を間にはさみ、3段重ねて焼成することにした。これで54個が焼けることになった。
 ところが、掛けた釉薬はもちろん、木炭の灰が道具土にまで降り注ぎ、一体になってしまったものも多い。それを分解している内に欠けてしまった部分もある。それらは金継ぎすることになる。
 金継ぎの問題は接着剤である。市販されている接着剤の殆どは有機溶剤が使用されているので食器には使えない。漆は、乾燥の面倒なことや「かぶれ」が怖くてできれば使用したくない。
 いろいろ調べたら、高機能天然漆、NOA漆というものが見つかった。最近、工芸漆とか、新漆の名で市販されている接着剤は名こそ漆だが、天然漆とは全く違う。しかし、NOA漆は天然漆の上にかぶれにくく(かぶれないということではない)漆風呂を使用せずとも低温で低湿度(温度25度、湿度45〜50%)で4〜5時間で乾燥するという。さっそく、透スグロメ(透明)と黒スグロメ(黒)の2種を注文して金継ぎを始めた。



▼2013-08-08 10:47
初めての木炭窯 奮闘記3
かの木炭窯は木炭を上から投入し、その木炭が燃焼し、その灰を釉薬とするため、通常の窯のように棚板で内部を分け器を階層で焼くことができない。ハつまり、窯の底面に並ぶ量しか焼けないのである。その上、器と器の間も木炭が落ちるスペースが必要。そのため、底面だけでは、大ぶりなぐい呑みを18個並べるのが精一杯。そこで、道具土を間にはさみ、3段重ねて焼成することにした。これで54個が焼けることになった。
 ところが、掛けた釉薬はもちろん、木炭の灰が道具土にまで降り注ぎ、一体になってしまったものも多い。それを分解している内に欠けてしまった部分もある。それらは金継ぎすることになる。
 金継ぎの問題は接着剤である。市販されている接着剤の殆どは有機溶剤が使用されているので食器には使えない。漆は、乾燥の面倒なことや「かぶれ」が怖くてできれば使用したくない。
 いろいろ調べたら、高機能天然漆、NOA漆というものが見つかった。最近、工芸漆とか、新漆の名で市販されている接着剤は名こそ漆だが、天然漆とは全く違う。しかし、NOA漆は天然漆の上にかぶれにくく(かぶれないということではない)漆風呂を使用せずとも低温で低湿度(温度25度、湿度45〜50%)で4〜5時間で乾燥するという。さっそく、透スグロメ(透明)と黒スグロメ(黒)の2種を注文して金継ぎを始めた。



道具土の痕を金継ぎする。そのままでもよいのだが、金継ぎが景色となる。



ひどく割れ、大きな部分が使えず、別の器の欠片を使用。同じ灰釉だが、濃度違いが面白い。



上下にできた道具土の痕を金継ぎ。下だけの金継ぎでもよいのだが、バランスで上部の道具土の痕も金継ぎする。





大きな欠けも金継ぎすると、一層豪華になる。手間を考えれば、普通は捨てるようなものだが… 。



道具土の部分が上の器と炭の重みで沈んでしまい、片口のようになってしまったぐい呑み。挙げ句に、見込みの底には、はずれてしまった高台の欠片がはりついている。

 念のため、長袖、使い捨てのビニール手袋使用で金継ぎ作業開始。仮に金が完全に蒔けない場合でも、黒が透けて見えるのならばかまわないとハNOA漆黒スグロメだけを使用した。作業終了後、そのままアトリエに並べておいたが翌朝には完全に乾燥。心配のかぶれも全くなし。NOA漆は優れものだ


▼2013-08-20
初めての木炭窯 奮闘記4

木炭窯に再度挑戦。前回の窯ではロストルからの空気の取り入れを自然の換気にまかせ、次々に木炭を投入し、長時間(通常の薪窯と比べれば短時間だが) かけて温度を上げた。その結果、器には膨大な灰が降り注ぎ
灰が熔けきらず表面のざらつきが強くなりがちだった。自然な供給にまかせていた空気を扇風機を使用して強制的に送り込み。温度を上げることに専念することにした。つまり、刀鍛冶やたたら製鉄の方法である。
 少し欲張り、内部に棚を数段作り、器を置き、大きく開けた隙間には木炭を詰め、最下部には特に大量の炭を詰め、点火した。予想では、一気に木炭に火が回り、内部は高温になる筈だった。しかし、木炭を入れすぎ、いくら扇風機で空気を送っても酸素は不足し、なかなか、窯の上部まで火が回らない。直ぐに、間違いに気付いたが、あとの祭り。それでも、木炭が燃え、量が減るにつれ、酸素の供給と燃焼が調和しだし、下部では温度が上がりだす。
 点火して、3時間。火力の勢いが落ちたころで、ロストルと煙突を閉じて終了。なんとも短時間で楽な窯焚きである。点火すれば眺めているだけである。
 翌日、窯出し。上部は、予想通り素焼き状態。しかし、下部の器は黒釉が熔け、温度の上がりにくい見込み部分も大丈夫。





 黒釉が柚子肌となり、全体がつや消しの中に一部光沢の黒となり、変化が面白い。
 専門家によれば、急激な温度上昇は割れの原因とか、短時間の焼成では釉が熔けないという。結果から判断すれば、必ずしもそうではない。さっそく、水を注ぎ、漏れと焼きしまりの度合いを試してみた。同じ土、釉を使用しても、温度が上がらなかった場合は、その多くが水漏れしたのだが、結果はよく釉が熔け、十分に焼けしまっている。たった3時間燃焼するだけなので、木炭の使用も前回の半分以下となり、次回もこの方法が有効なようだ。
 最下部の棚板が割れ落ちた、急激な温度上昇が原因なのか、もともとひびがあったのか、定かではないが、恐らくその両方なのだろう。抹茶茶碗が落ちた棚板に三つほどおされ、変形してしまった。



写真では、変形がひどいが、手に収めればしっくりし、 けがの巧妙といえそうである。
 次は、今回素焼き状態で終わった器を今回と同じ方法で二度焼きする。それで「木炭窯」との戦いを終了し、そろそろ、10月にせまった個展(陶器の展示ではない。)の準備をしなければ… 。


▼2013-12-19 14:54 
ぐい呑 百展

初めて器の展覧会を行うことになった。これまでも、陶板として大皿を展示したことはあったが、それは画面としての皿にドローイングするという意識が強かった。しかし今回は器として展示する。とは言っても
 器である前に彫刻でありたいと思う。それに料理が盛られ、酒が注がれ、器と料理は依存しあうのではなく、それぞれが自立し、そして出会い協調しあう。そんな器でありたい。よく陶芸家が口にする「料理が盛られることで 器として完成する」のではない。
 料理が盛られなくとも それ自体で美しい器に、料理が盛られ出会いの美しさが生まれるのだ。
 今回は正月に相応しいものということで、益子で制作した「ぐい呑」に、湯谷の家の木炭窯で焼成した「ぐい呑」を中心に抹茶碗、大皿などを並べる。



味岡伸太郎「ぐい呑」百展 2014年1月11日(土)〜21日(火) GALLERY 入船


▼2014-01-10 15:58
明日「ぐい呑」百展 初日

明日から「ぐい呑」百展。展示も終わった。









小さな「ぐい呑」を上から見下ろすのではなく、小さな、彫刻を見るように、目線に展示。



形が、やはり見えてくる。陶芸はやはり形だと思う。そこに、美味しい酒が注がれて、使命が全うされる。形が悪ければ、それ以前の問題である。


▼2014-11-12 13:36
たてまえテスト、実態ぶっつけ本番角皿制作

奈良の陶芸材料店から原土を32種類入手した。通常陶芸では採掘したままの粘土を、土の粒子の大きさにより、水中での沈降速度が異なる性質を利用し,粒子が細かく揃い、扱い易い粘土とした水簸(すいひ)粘土が使われる。しかし、私は、水簸粘土を殆ど使用したことがない。常に採掘したままの粘土、つまり原土を利用してきた。
 この夏、入手した原土を益子に運び、それぞれ、30cmの角皿一枚に抹茶碗とぐい呑みを成形した。テストといいながら、恐らく、二度と同じ土は使用しないだろう。いつもと同じ、常にぶっつけ本番である。テストし結果が予想できる作業はつまらない。





無駄になるだろうと思いながら、一応テストのまね事をゴム印で原土番号を印字。



成形した後は、乾燥から、焼成を、信頼する友人に全てをまかせている。室の乾燥状態からも、それぞれ土の表情の違いが分かる。



通常行われる素焼きは殆どしないのだが、あまりに勝手の違う原土の上、その種類の多さから、今回は素焼きした後、鉄分の多い土は白化粧し、釉薬は全て黄伊羅保で依頼する。一応テスト風の、ぶっつけ本番大皿制作である。



素焼きはしたのだが
釉薬をかけた瞬間に崩れ去る土もあったという。
その残骸。



それだけでなく、耐火力もなく地溶けして、まっ平らになって棚板についてしまう土も、あるだろうと、器の下にモミ灰を敷き、皿のせりあがりには全部道具土を入れるという。大変な窯焚きになってしまい、申し訳ない(一応詫びておこう)。



いつものように、短期間の制作時間な上に、砕けてしまったものも多いので、作品の仕上がる数が少ないかなと思っていたら、持っている棚板を全部使ったのは初めての、ぎっちりの窯詰めになってしまったという。



いつも使う益子の原土を使用した、器も成形しておいたのが幸いしたようだ。しかし、よくよく考えれば、砕けた作品がなければ、窯焚きは二度必要になったことになる。これを怪我の功名と言うのか。万事、計算通りと言うべきか。ともかく、窯出しと。作品が届くのが楽しみである。
その後、窯出しの写真が届いた。





全て同じ釉薬なのに、全く違う表情に焼き上がっている。ますます、現物を見るのが楽しみである。10日後に、個展を見ながら、直接運んでいただけるという。子供のように指折りして待とう。