ブログ 美術 2013個展「宇連川より」

▼2013-10-17 18:18 
味岡伸太郎展 「宇連川より」
2013年10月26日(土) - 11月17日(火) ギャラリー サンセリテ
アーティストトーク「アートと自然」 聞き手 豊橋市美術博物館学芸員 細田樹里

旧鳳来町湯谷温泉にほど近い「田ノ島」に、アトリエならぬ小屋をかまえて4年になる。その小屋の前を宇連川が流れている。東三河の水瓶として造られた「宇連ダムと鳳来湖」はその上流にある。「鳳来湖」は渇水期にはしばしば干上がり、2013年8月には、とうとう貯水量が1%を切った。
 湖底には、かつてあった建造物の一部や、建設時に伐採されたであろう大量の切り株が姿を現し、



設楽の火山活動の終末期に形成された岩脈も全貌を見せ、



それに遮られたかのような巨大な岩から、流れ落ちる「穴滝」の滝壺は深い緑を蓄えていた。



20年以上、「土」を使った作品を制作してきたが、自然をテーマとしているのではない。
 水に恵まれた日本では、土は露出しても、まもなく緑が傷跡を隠すかのように覆ってしまう。土がその姿を露に見せるのは、事の大小を問わず自然が破壊された時なのである。
 鳳来湖も満面に水をたたえているときには、人造湖といえど、自然の美しさを見せている。それが一端渇水となれば、普段は隠されているダム湖の素顔が姿を現す。荒涼とした光景とも言えるが、これもまた自然であり、偽善の臭いがする人造湖よりは真実であるだけ美しいと言えなくもない。
 露呈した、谷底に降り、幾種類かの土を採取し、流木を手にし、鳳来湖を後にした。



今回は、アトリエのある旧鳳来町の湯谷温泉を流れる宇連川と、その上流鳳来湖で集めた土と、湖底で拾った流木と小石の形をトレースした土によるドローイングと、流木と小石によるインスタレーション。



画面が作家の痕跡で満たされる。そこに、思想と美意識が連動することで絵画が生まれる。
 絵画することは、その思想と美意識が正当なもので有るか、否かを確認すること。
 その思想と美意識が正当であるのならば、それは、必ずや、作家の痕跡に反映され、絵画が成立することになる。
 絵画することは、絵画となるためや、美術であるためや、もちろん、思想であるためではない。
 そのためには、制作の動機から、その過程、結果にいたるまで、いささかの、迷いや、疑義を介在させてはならない。それは、ただちに画面に痕跡となって、残され、消すことはできない。



インスタレーション
線庭、あるいはベジェ氏による接続 
2013年10月20日 ギャラリーサンセリテにて
鳳来湖の流木と小石



流木の一つを手にとり、ギャラリーの床に置く、次に選んだ枝の先端を接する寸前まで近づけ、その一方の先端が描く曲線の接線と、もう一つの枝が描く曲線の接線とが1直線になるように、枝を配置していく。
 次々と枝を選び、曲線を繋げていく。枝がすでに置かれた枝と交差する場合には、小石を橋脚として、接しないように、立体交差させる。
 一度セットした枝、小石は決して動かさない。これがパフォーマンスのルールであり、インスタレーションのプランである。
 どのようにパフォーマンスを終了させるのか、決断が、やがて必要になる。それはプランの実行の中で必然的に訪れ、その期を逃さないことが肝要となる。
 幸運にも、最初の一枝の結ばれていない先端と選んだ枝の先端の接線が、一直線上に結ばれ、つまり、曲線が閉じられたことで、パフォーマンスを終えることができた。