ブログ 美術 2012 益子土祭

▼2012-04-16 16:28
益子で久しぶりに土を採取した。

久しぶりに土の仕事がしたくなり、準備をしていたところに、栃木県益子町の「土祭」(ひじさいと読む。土方歳三のひじ)へのお誘い。二つ返事で引き受けてしまった。
 早速、13〜15日。会場を見がてら、土の採取に出掛けた。益子は遠い。12日夜。東名豊川IC近くで食事後、出発。足柄SAで一泊。午前中に益子到着。町の担当者と益子グランドホテル(?!)のオーナーKINTA氏とともに会場に、9×18m、高さ6m。想像以上にでかい。



いつもながらの、後悔先に立たず。小さな仕事ではどうにもならない。7×1.53m程度の作品が、最低4点は必要と見当をつける。午後、それに見合った土の採取に出掛ける。初日、見事といえばあまりの空振り。絶望。
 二日目。朝から雨。益子は私が出掛けるといつも肝心なときに雨。益子は雨が多い。(益子の住民は私と違うことを言う。)KINTA氏の友人であり、益子を代表する人徳者カックン氏に登場願って、問題全て解決。昨日、採取できなかったポイントが採取可能に。
 三日目。採取せずに帰る予定を変更。突然、朝、5時半より採取に出発。



途中。カックン氏も合流。午前中に終了。



分かるだろうか。私を中心に点々とした土の採取跡。横に5、縦に10のポイントで採取した。これで、上下に連続する、縦1.5m、横7mの作品が2点仕上がる。ほぼ、採取地の原寸になる。
 ここでは、今後50年間、益子で使われる粘土が採掘されたという。新しい益子の歴史がここから始まると聞いた。あれこれ、楽しみだ。
 今年は遅い益子の桜も今や満開。益子グランドホテルの庭では、花見の真っ盛り、



立つ鳥、酒の香りに心は残るが、私にとっては、「笑点」のほうが重大事。今なら、間に合うと、一路帰豊。新東名開通の渋滞を駆け抜け、良かった、間に合った。


▼2012-06-28 10:12
栃木県益子町の「土祭」の試作開始

本当に何ということだ。別宅のデッキを作っているかと思えば、次の日には家具のリメイク。そして、次の日には、大学の講義。そして、その合間を縫って、「土祭」の作品の試作もしなくてはならない。当然のごとく、出版社の仕事も、グラフィックデザインやタイプフェイスの仕事もしなくてはならない。どれも手が抜けないのだ。全て、身からでた錆だが。これはあまりではないか。ハ
 しかし、最大の問題は、同情もしてくれない。周りの冷たさノ ?。である。ハその上、昨夜は38度の熱も出る始末。どうだ、これなら、同情してくれるだろう。戯言はここまでにして、栃木県益子町で開催される「土祭」に出品する作品を試作している。
 土の採取地は益子町内の4ヶ所。新福寺、北郷谷、堂ヶ入、上大羽。これまで仕上げた試作は3点。



まず、新福寺。縦5段、横5列で採集した。全体に砂混じりも赤い土である。この試作では水彩紙の余白があるが、最終的には、余白を無くし、153 x 700cmの綿布一杯にドローイングする。このサイズで採取地のおよそ原寸となる。



次が、北郷谷。新福寺同様に採取している。 この場所では、さらに2カ所で採取。ここは、今後50年間、益子の窯業組合が使う粘土の採取地だという。益子町で開催される「土祭」の素材としては意義深いような気がする。
 そして、堂ヶ入。益子で最初に採取した土だ。横1列に12区画の採取。



全て153 x 700cmの綿布一杯にドローイングする。このサイズを5点制作予定。他に上大羽では、縦1列に33段採取している。これは1段12cmとして、縦約400 x 153cmに仕上がる。合計6点を益子町の土でドローイングする。うち4点を「土祭」に展示する。
 自然は絶対美しい。その自然をそのまま提示する。自らの意志をそこに反映しない。すると、自然の意志がそこに反映される。結果はおのずと付いてくる。
 全てを自然に委ねるが、そこに、残るのは、まぎれもなく、 全てを自然に委ねてペインティングする、私の意識である。


▼2012-08-29 16:01
土祭の作品、まず一点。

いよいよ土祭の制作が始まった。これまで随分と大きな平面作品を作ってきたが、横7m、縦152cmはかなりの大きさだ。このサイズを2点とそれよりやや小さなものを2点と小品(といっても、かなり大きい )を6点展示する予定。

最初に描いたのは、益子町新福寺で採取した作品。



採取地遠景、益子町新福寺。



実際に土を採取した部分。



土の採取 順に袋に詰め、採取順を記入。



土の計量。



採取地のほぼ原寸の綿布の上に採取した順に並べる。



5x5の25分割した綿布に採取した順に塗り込む。



いよいよドローイングも終盤。



完成。小さく私が写っている。作品の大きさがわかる。
益子では珍しい赤い土の色の微妙な変化が美しい。会場の蔵に入って正面の壁に掛けたいと思っている。

彫刻家の飯田善國氏と始めて出会った日のこと。飯田先生は私のアトリエに入るなり、出来上がったばかりの「地質調査」と名付けた今回のシリーズの第一作と二作に触りながら、この作品は土を地層順に採取し、塗ったものだねと、なんの疑いもなく。さも当然のごとく言われた。 その後、書いていただいたのが、

味岡伸太郎の世界 “美の倫理”
飯田善國
味岡伸太郎の最近の作品、つまり大地を掘って、地層別に選りわけた土をボンドでこねて、カンバスの表面に塗りつけた作品を眺めていると、不思議な気分に襲われる。
 その気分を何と名付けたら良いのか。何かやわらかい、大きなものに包まれて行くときの快感のようなもの、あるいは、根源的なものに触れたとき人の心に湧きおこる深い優しい気分のようなもの、とでも言おうか。
 その作品の表面は、ただ、土が塗られているだけである。作者の自我や主観や感情の入り込む余地は一切ない。それは、ただ、壁土のように無作為に塗られた表面としてだけ存在している。
 人は、その無作為に塗られた土の粒子のつくる表面に吸い込まれてゆく。まるで宇宙飛行士が無限へ向って落下して行くときの痺れるような快感と恐怖のうちに生そのものが在るかのように。
 あるいは、闇の光のなかで出会うものがたった一瞬でありながら永劫に回帰するものであるかのように…。
 味岡伸太郎の作品は80年代の「組成」シリーズの時代からシステムの発見に向ってひたすら作動してきたと言われている。その通りであろう。
 「組成」シリーズの作品群は、作者の眼が、「表現」に向ってではなく、「自然の法則性」を見出し、それを何気なく束ねて行くその束ね方の非主観性・無作為性へ向けられているのを知らせてくれる。そのことが、ある爽かさを生み出してもいる。
 20世紀の芸術が根本のところで、芸術家の個性を際立たせることに力点を置いてきたとすれば、現在は、その反動として、あるいは反省として、芸術家の個性の否定、あるいは個性を超えたものへの視点、といった方向へ向うのは自然の成り行きであろう。
 味岡伸太郎の制作の基本は、作為性の否定という立場を貫くことに置かれてきた。
 彼の目指す無作為性は、無作為性そのものが目的なのではなく、無作為性という態度を貫徹することで、自然の裡に匿されている法則性を見つけ出し、それをシステムとして体系づけるための方法としての無作為性なのである。
 芸術家は自然に対し従順でなければならないが、だからと言って、従順で謙虚でありさえすれば自然はその本質を明らかにしてくれるかといえば、必ずしもそうではない。芸術家は、従順で謙虚でありつつ、更に、鋭い眼と巧緻な論理を備えていなければならない。
 味岡伸太郎は、珍しくこの二つの特質を兼ね備えている。その結果、彼が促えてくる真実は、深く大きな体系をもつに到る。
 どんな体系なのか。
 原理的でありつつ宇宙的であること。時間的でありつつ、空間的であること。細部的でありつつ、全体的であること。自然主義的でありつつ、きわめて思想的であること。
 表層的でありつつ、重層的であること。要素的でありつつ、人間的であること。無作為的でありつつ、構造的であること…など。
 彼の自然に対する自然なこだわりは、近代主義に対するひとつの批判と成り得ているといえる。そこに私は厳しく美しい倫理の香りを臭ぐのである。


 先生もヨーロッパ留学以来、「作為」「個人性」の否定を念頭に置かれ制作を追求されてきたゆえに私の制作の意図を一目で理解していただけたのだろう。
 今だもって、美術を専門にしている方でさえ作品を前にして、この土の色彩の配列はどのように決定されているのかと質問されることが多いのに、先生の観察眼の確かさには驚かされたものだ。


▼2012-09-10 18:40
土祭で会いましょう。

土祭の制作が終わった。「栃木県益子町よりの報告」と題して益子町で採取した「土 」を綿布にドローイングした。縦150x横685cm が2点と、縦202x横150cmの3枚組で横450cm、縦402x横150cm 、縦286x横150cm がそれぞれ1点。
 土にマット紙によるエスキスが、縦39.5x横118.8cm が5点。縦111.8x横39.5cm が1点。合計11点になる。会場の久保邸の石蔵は、これだけの作品を、スッポリ収めてしまう。
 土祭への出品依頼には後先考えずに快諾してしまったが、作品が増えるにしたがって、これは大変なことだったのだと、思い出した。後悔は先には立たないものだ。



久保邸石蔵。

内部は18x9m、高さ6m。壁面はフラットではなく、倉庫によくある木の縦桟。とてつもなく広く、荒々しい会場である。





石蔵の正面入口と内部。搬入時には屋根のブルーシートの修理が終わっている。ありがたい。ハ
 この会場はを持たせるのは大変なことだぞと、作品が完成し、やっと現実が見えてきた。
 それとは別に、最近の現代美術はインスタレーションが増え、まだ、平面なんかやっているのと、言われそうだが、あらためて、私にとって、平面が基本なんだと、思い出させてくれた、貴重で充実した時間だった。届いた公式ガイドブックを見ると



美術だけの展示ではなくこんな、町あげての「祭り」があってもいいと思わせる。ケーススタディとなりそうな組立だ。展示が楽しみである。


▼2012-09-15 21:15
「土祭」搬入完了。

9月13日午後2時半、益子到着。早速 、会場の石蔵に、窓に絡まる美しい蔦がお出迎え。



14日、朝から搬入開始。すでに掃除が始まっていた。



長年積もり積もった埃が舞い上がり、前が霞む。



やっと、飾付け開始。掃除部隊、取り付け部隊、総勢15名。益子の皆様にただただ感謝。





横幅7m、さすがにこれだけの人が必要な大きさなのだが、これが、すっぽり飾れてしまう会場はさすがに恐ろしい。飾り出して、やっとその怖さに気がついたのだが、時、すでに遅し。ただただ、必死の展示作業が延々と続く。



縦4mの作品の取り付け。恐ろしくなるほど高い。この蔵以外に展示場所は簡単には見つからない。



会場入り口の表示も完成。美術館のような感じになってきた。



最後に照明のセッティング。これで、展示終了。この石蔵でなければできない展示。益子の土でしかできない展示。益子の皆様の協力なしではできない展示。全てに感謝したくなる出来映えです。


▼2012-09-18 13:33
「土祭」が始まった。

15日朝。茅葺屋根が美しい綱神社。神主の祝詞奏上で「土祭」は始まった。



私の展示会場に向かう途中、浜田参考館で開催されていた「浜田庄司 京都・英国・沖縄・益子 それぞれの時代」を見る。浜田庄司が客をもてなしたという豪快な「上ん台」の移築民家、そこかしこに置かれている、名も無き職人達の仕事が素晴らしい。それに比較して、作家の仕事は目に止まらない。展示会場に到着。昨夜の雨に軒下の蔦も濡れていた。









今回の「土祭」への参加は私の住む町での活動のケーススタディーとしての期待もあった。最終的にはどれだけの観客が訪れるのか。最初の2日間の印象は、驚くほど賑やかだ。
 益子の歴史の積み重ねと東京から日帰り出来る地の利が東三河には欠けている。我々の住む地に、それに代わるものを見つけなければ始まらない。
 「土祭」の展示は益子の良き時代の繁栄が残した素晴らしい空間や自然を積極的に利用する。しかし、空間や自然が素晴らしければ、素晴らしいほど、そこに展示される作品の存在理由は問われることになり、作家には覚悟が求められる。
 白い壁以外、他に何もない展示に最適に用意されたギャラリー空間がいかに作品にとって優しい空間なのか「土祭」は再認識させてくれる。
 つまり、完成され、それだけで魅力ある空間には作品は、本来必要ない。対して、ギャラリーとは、作品が置かれて完成する空間なのだ。
 作品はその空間を一瞬に変化させ、その空間を支配できなければ、展示・発表する意味はなくなる。空間に助けられることなどない、また、助けられることを願うのは、他力本願な妄想にすぎない。
 馴染むことでもなく、共存することでもなく、自立するしかない。そのとき、作品と空間は新たな意味と関係を持つ。
 土の採集、制作、搬入、展示その全てに、覚悟だけではすまない。情熱や感性に加えて、知力も体力もが、関わる全ての人に求められていた。それが「土祭」だった。



「土祭」余録
公式ガイドブックの印刷時に出るやれ紙(試し刷り紙)を再利用した土産袋。
 発想もその結果も美しい。結果が美しくなければ。その発想もまた、正しくない。今回の「土祭」でもっとも美しいと思ったもの。


▼2012-10-15 17:32
まもなく個展

7年ぶりに、「土」による仕事を発表する。
味岡伸太郎展 栃木県益子町よりの報告書
2012年11月3日(土) 〜25日(日)

写真はハ栃木県益子町「土祭」石蔵での展示風景。



今回の作品は陶芸で知られる栃木県益子町の主要な粘土の採取地、北郷谷と新福寺地区に露出する地層より土を採取した。横に130cmピッチで5列、縦に5段、計25種。
 今回の平面作品の多くは益子町で開催された「土祭」で展示した。「この作品のサイズ「7m x 150cm」は、ほぼ採取地の崖の原寸、そこに採取した配列でドローイングした。」と作品を前に説明するのに、多くの方が「土の色の配列はどのようになさっているのですか。」と聞き返してくる。言葉通り、理解していただければ、よいのだが、常識外のことには、なかなか理解が及ばないようだ。それが、画家や彫刻家と称している方に多いことに驚いている。すると、私は常識外の仕事をしているのかと、不安になるではないか。自分はまったくもって、常識人と思っているのに。
 絵画とは、支持体つまり紙や布や板などを、なんらかの接着剤を用いて、顔料つまり色の粉で覆うこと。その覆い方に作者固有の美的な秩序が求められ、結果としての絵肌をマチエールと呼ぶ。
 美術用語としてのマチエールとは、絵の具その他の描画材料のもたらす材質的効果や絵肌を指すが、私の考えるマチエールとは作者が必然的に為した行為の軌跡。それは体質そのもので、創り出すものではない。その意味で、マチエールとは、絵画そのものと言っても過言ではない。極限すれば、色彩すらも、行為の軌跡、つまり、マチエールが生み出すのだ。色彩、つまり「土」の配列などは、自然にまかせればよい。自然の摂理がそこに働いて、むしろ、結果は好ましい。特別な土を求めて、採取地を探し歩く必要もない。
 必要なのは、その「土」でしか描けない、言い換えれば、その「土」が求めるように、手を動かせばよい。そこに、必然が生み出すマチエールが生まれる。
私の考える絵画とはそのようなものだが、残念ながら、それは常識ではないようだ。
 初日の11月3日、午後4時より予定しているアーティストトークではそんなこと、あんなことをとりとめもなく、話そうと思っている。
 個展では件の「7m x 150cm」の作品を中心に、益子の土を使ったドローイング十数点と自然石を使った、立体を数点展示する予定。


▼2012-10-31 10:42
アトリエの光景

豊橋で年2冊、発行される「fratto]という雑誌がある。



最新号の特集は「アトリエの光景」。一般の方には分かり易いとは言い難い、私の仕事を上手に紹介していただいた。



それにしても、決して不満を言うのではないが、上の、巻頭扉写真は、腹が出過ぎてはいないか。編集者とカメラマンの誇張を感じるのは私だけではあるまい。重ねて言うが、決して、クレームをつけているのではない。







記事は、1 味岡伸太郎さんと土に依る仕事2 味岡伸太郎さんと湯谷のアトリエ3 味岡伸太郎さんとギャラリーサンセリテの構成で巻頭18ページ。この取材の収穫は、記事の中で私を紹介するのに最適と取材者が選んだ坂口安吾の言葉を知ったこと。
 「美しく見せるための一行があってもならぬ。美は、特に美を意識してなされた所からは生まれてこない。どうしても書かねばならぬこと、書く必要のあること、ただ、そのやむべからざる必要にのみ応じて、書きつくされなければならぬ。ただ「必要」であり、一も二も 百も、終始一貫ただ「必要」のみ。そうして、この「やむべからざる実質」がもとめた所の独自の形態が、美を生むのだ。」
 浅学で恥ずかしながら、坂口安吾の「日本文化私観」のこの一節を知らなかった。仕事を支えてくれるバックボーンをまた一つ 手に入れることができ、有り難い取材だった。
 ところで、この雑誌の編集方針なのだろう。写真は豊富なのだが、私の作品だけでなく、この特集で紹介している作家全てについて、作品がわかる写真が 殆ど掲載されていない。つまりは、11月3日から、ギャラリーサンセリテで個展が始まるので、作品はそこで実物を見てください、ということだろう。
 昨日、飾り付けも終了。今回は7年ぶりの土の作品に加えて、石と鉄の立体も4点展示している。手前味噌だが、いいインスタレーションができた。
 3日4時からは、アーティストトークで、何か話せと言われている。お待ちしています。


▼2012-11-06 11:14
個展オープニング

サンセリテでの個展が、3日に始まった。益子町の石蔵での展示は、まずその会場のすごさに驚かされ、その荒々しさとの対比で作品と対面することになり、会場と作品のインスタレーションが問われたのだが、ギャラリーでは作品だけがそこに存在し、作品そのものが問われる。そして、ギャラリーはやはり見やすく、マチエールがよくわかる。









4時からのアーティストトークでは、やってしまった。プロジェクターとマックをつなげるコネクターを忘れてしまったのだ。
しかたなしに映像なしで開始。途中でお客さんの機転でコネクターをお借りでき、ほっと一安心。



しかし、かってなもので、映像なしのほうが、しゃべるのは楽なことに気がついた。
映像があるほうが聴衆には分かり易いし、話の切っ掛けにもなると、常々、映像を出来る限り増やそうとしてきたが、これからは、最小限にしよう。