ブログ 美術 2012 ART田ノ島39


2012-07-30 16:58
ART田ノ島39 搬入始まる
8月4日。愛知県旧鳳来町湯谷温泉近郊の田ノ島39を皮切りに、4会場で開催される「現代美術展 ART田ノ島39」の搬入が始まった。



作風も年齢も様々な作家が16名。最終的にはどのような展示になるのか、皆目見当がつかない。しかし、東三河でこれだけの現代美術の作家が揃うのは、おそらく始めてのことだろう。作品を知らない作家はいないのだが、始めて一緒になる人も多く楽しみにしている。
 私の展示は「田ノ島39」と豊橋の「ギャラリーサンセリテ」が終了。どちらも、鉄板と自然石を使用した作品である。



タイトルは、支点と質量による「水平考」。正方形の鉄板の四辺の2点を支点として、鉄板が水平となるように質量としての石を配置することで作品は成立する。石と鉄板は物理的に必然的に配置が決定される。それはコンポジション、つまり、自らの意識の絶対的な信頼を前提とする制作を放棄したことから始まる。
 ギャラリーサンセリテは黒い砕石と、914mm × 914mm、厚さ8mmの鉄板が3枚。
田ノ島は横を流れる宇連川の河原の白い石と、914mm x 914mm、厚さ8mmの鉄板が5枚。
 天竜奥三河国定公園を流れる宇連川とJR飯田線に挟まれ、敷地からは直接河原が広がり、水の流れる音と、思い出したかのように行き過ぎる飯田線が郷愁を誘う。そんな景観の中で現代美術がどう響きあうのか。
 確認に、ぜひ、お出かけください。初日の8月4日、午後1時より、オープニングパーティとサウンドパフォーマンスを予定している。また、東京、浜松、豊橋のギャラリーでもそれぞれ発表する。



2012-08-06 21:59
現代美術展ART田ノ島39が始まった。



3日の飾り付けには、殆どの作家が集まり、終日賑やかな交流が続いた。東京 からの作家と双ギャラリーと私は、湯谷温泉のはづ別館に宿泊。女将の暖かいもてなしをうけ、久しぶりに遅くまで話しが弾み、温泉にもゆっくり浸かった。



初日の4日早朝。昨日のざわめきをかたづけに会場に出掛ける。6時、対岸の東の山から昇る朝日が木漏れ日となり、作品に注ぎ、野外ならではの光と影と風の揺らぎによる、美しい光景を醸し出している。カメラを持たずに出掛けたことを悔やむ。
 宿に戻り、朝食。9時に再び会場。11時オープンに向け準備が始まる。サウンドパフォーマンスの多田正美氏のリハーサルと、渡辺康行氏の風鈴に風が共鳴し、満ち足りた時が過ぎて行く。



ほぼ定刻の1時にオープニング。予想をはるかに超える人で、用意した料理も瞬く間に食べ尽くされ、サウンドパフォーマンスが始まる。



途中、枝に吊した巨大などらが落下。そこからがパフォーマンスの醍醐味だった。予定された多田氏手中の音が封印され、どらと格闘技するかのようなパフォーマンスが繰り広げられる。多田氏を超え、多田氏の身体そのものから出る音。いいパフォーマンスだった。

今回の私の作品のタイトルは、支点と質量による「水平考」



二つの自然石を任意に置き、その頂点が水平となるように調節し 、その上に鉄板を置く。当然、鉄板は傾く。そこで、鉄板の上に水平になるべく石を置く。石の数も位置も必然から配置される。その行為を5回、繰り返す。人力で線路を渡らなければならず、搬入時の、重量分散のため、5枚組となった次第だ。



現代美術展ART田ノ島39[豊橋展]のギャラリーサンセリテには、砕石を使用した3枚組の作品を展示している。



完成した作品は、あたかも、鉄板と自然石のコンポジションに見えるだろう。しかし、私の考えるコンポジションとは「画面を構成する要素の量と位置とサイズを自由に変化させ、最終的には作者の目と感性で、絶対的な量と位置とサイズを決定することである。」そこには、確立された自我の存在が不可欠である。私の仕事には、そのようなコンポジション、つまり自我は存在しない。
 現代の推進力はエゴイズムである。つまり、人間の飽くなき欲望である。この、エゴイズムの克服が現代の課題なのだ。エゴイズムは自我そのものである。自我の表現が長く芸術の目的だった。それは今後も変わらないだろう。しかし、現代に求められるのは、自我を超えた存在としての自我の確立と自我の表現なのだ。その答えは、意識を他者に委ねることから始まる。無意識の自我と言っても良い。



2012-08-08 09:23
現代美術展ART田ノ島39[豊橋展]

現代美術展ART田ノ島39[豊橋展]のギャラリーサンセリテの展示が素晴らしい。私の作品の設置は随分前に済ませ、その後、湯谷会場の準備に追われ、昨日、始めて会場を見た。
 素晴らしいインスタレーションだった。16名もの、個性もサイズもバラバラな作品を最高に生かした展示になっている。美しいし、華やかだし、新鮮だった。個々の作品の質は勿論だが、ギャラリストとしてのセンス、その重要性、それによって、アーティストがどれほど助けられるのか。そのことも、このインスタレーションで是非多くの方に見てもらいたい。
 そして、自然の中での展示とギャラリーでの展示の違い今回の企画は様々な視点が楽しめる。是非、足をお運びください。
 一応、コンパクトカメラに収めたが、残念だが、インスタレーションの重奏感が少しもでていない。



そして、今日は浜松展がオープンする。どんな会場に仕上がっているか、楽しみである。多田正美氏のパフォーマンスも楽しみである。



2012-08-21 10:34
ART田ノ島39 O氏への返書



今回の「ART田ノ島39」の趣旨をご理解頂きありがとうございます。それに関連して、少し、思いを綴らせてください。
 ご存じのように、現在、日本の現代美術は大変歪んだ状況にあります。それは、未発達な画廊のシステムと同根の美術シーンの不在です。日本には、他の国では見られないギャラリーの存在があります。
 スペースを売買するだけの、実態は不動産業の貸ギャラリーが若い作家たちから、高い貸ギャラリーの使用料を徴収し、その掠りで、一年に、一度か二度の好みの作家の企画展を行うことで、あたかもギャラリストのごとくふるまってきました。(その現状に甘んじ許してきた、作家達も実は罪をまぬがれないのですが)
 かたや、越後妻有アートトリエンナーレは脚光を浴びていますが、若い作家たちには、実費程度(人件費はでない)で参加させ、規模を拡大し、ほんの一部の有名作家には破格の制作費を提供して企画者と一部作家だけにスポットがあたり、全体が運営されるという、その構造はまったく同じです。
 貸ギャラリーは、東京での発表の場を提供し、トリエンナーレは、そこに選ばれたという、名ばかりの名誉の獲得という、実態のない虚構にふりまわされ、作品には「開かれた美術」という耳障りの良い言葉で、ますます、エンターテイメントが求められています。東北の震災以来の「アートどころではない」という雰囲気とともにとても現状を危惧しています。作家の Kさんの思いも、今回の展示に参加していただけたのもおそらく、それらへの共通の思いからです。
 今回の展示中にも、越後妻有アートトリエンナーレの問題を指摘する声を聴きました。(それも参加作家から)それに比べれば、今回の「田ノ島 39」の企画はささやかなものでした。内部で解決しなければならない、様々な問題もあります。今回参加して頂いた、双ギャラリーの塚本さんがブログにこんなことを書いています。

「美しく、しかし厳しい自然の中に作品をおくというのは、それなりの覚悟がいる。そしてわれわれ画廊にも …。野外展は、展覧会は成功しても見返りはないのが普通であろうが、同時開催で画廊3件(浜松の田町サロン、豊橋のサンセリテ、双ギャラリー)で展覧会を開いて作品を少しでも売って、作家に還元することも考えていられる。」

さすがに、今回の企画の重要な視点を的確に書かれています。作品が売買されなければ、作家はアルバイトして、(美大の教授だって、作家になりたい人にはアルバイトです。)展覧会を開き、作品を無料で見せ続けるという、まことに不条理な状態が永遠に続くことになってしまいます。同じ作家の作品を同じ時期に自然の中とギャラリーとで展示しました。
 塚本さんの「美しく、しかし厳しい自然の中に作品をおくというのは、それなりの覚悟がいる。」を実感しました。そして、これまで、ギャラリーサンセリテは作家にとっては厳しい空間だと思っていましたが、やはり、ギャラリーは作品を見せるために考えられた空間で、作品に優しい空間なのだということも、改めて認識しました。
 申し訳ありません。長々とかってに書いてしまいました。これにこりずに、今後ともお付き合いください。次にお会い出来る日を楽しみにしております。