ブログ 美術 2011 Straight line あるいは線庭

▼2011-12-29 12:46
あいちトリエンナーレ地域展開事業実行委員会主催 現代美術展inとよはし
2012年1月17日-2月19日 豊橋市美術博物館ほかの会場で開催





私は「Straight Line 線庭 」を制作する。
吉田城趾(豊橋公園)には歴史の遺物としての石が多数残る。1505年に牧野古白により吉田城の前身今橋城築城。その後、吉田城となり明治維新、明治18年に歩兵第18聯隊の屯営として終戦を迎え、昭和24年に豊橋公園として一般公開。同29年に開催された豊橋産業文化大博覧会施設を利用して豊橋市動物園開園。45年に動物園は郊外移転。その跡地に54年、豊橋市美術博物館開館。
 あるものは石垣の一部であろう。また門扉であったと想像できる切石がある。どこで使われたのだろうか蹲もある。大小様々100は優に超える。それを美術館の前庭から裏庭まで約100m、館の中心を貫き配置する。
 その線上には苔生した石彫もある。池もある。さらに通路もあり、様々な障害となる施設があり、その上床や地上面には模様まである。それら全てを歴史と認め受け止め、一筋の「線庭」として新しい歴史を作る。

1月10日より、「Straight Line 線庭 」の制作開始。15日まで、重機を使用しての搬入予定。搬入風景も公開されています。
その2は 味岡伸太郎展 春と修羅より ギャラリーサンセリテ 2012年1月17日より2月12日



今年も文字を書いている。何故、文字なのか。予め決められている文字の並びがあり、その文字には書き順もある。画面を埋めるための手の動きを考えることもなく。構成を考えることもなく。それを只ひたすら書く。すると、空間がそこに生まれる。
来年も、変わらぬテーマは「委ねる」こと己を無にし、文字に委ね、石の歴史に委ねる


▼2012-01-09 09:19
線庭日記 プロローグ

いよいよ線庭の制作が始まる。正式な開始は明日から、15日までに完成の予定。16日にはサンセリテでの個展の飾り付けが予定されている。しばらくは、美術だけの日々が続く。

昨日は、制作開始前の準備として、機材と資材の搬入



エンジンクレーン、手製のチェーンブロックの移動式架台、鉄製の三つ叉、500kgと1000kgのチェーンブロック、スリング20本以上
板木用に薪12束、石を据えるための小石約400個、コンパネ10枚その他もろもろ、こんな機材や資材を使っている人間が、この作業を終えると、次の日から、コンマ何ミリの世界で書体作り。我ながら、この差はなんだ。

使用する石材の選定マーキング。



一つづつチェックすると、思った以上に何らかの歴史の痕跡のある石が多い。歴史の意味を持たすように並べようか、それとも無作為に並べるべきか、このことを、考え続けてきたが、マーキングの途中で結論が出た。明日からは、何も考えず、ひたすら、目に入った順に並べていくことにしよう。
 後、残した作業は美術館正面入り口に向かって石を並べるための、真っ直ぐなラインを前庭に入れるだけ。今夕、美術館の閉館に合わせて入れる。明日からは朝9時から、午後5時まで毎日美術館に通勤だ。制作は公開。よろしければ、お出かけください。

▼2012-01-10 20:05
線庭日記 1/10
朝8時30分作業開始。美術館前庭に石を配置するセンターラインを糸で標す。



9時、石を運んで頂ける職人さん達が到着、ただちにユニックの作業開始。



前もってチェックしてある石を次々に積みこんでゆく。とても人当たりの良い職人さんたちで、気持ち良く仕事ができて有り難い。さすが、石の運搬のプロ、手際も素晴らしい。



スリングも今回のために約20本用意しておいたので、降ろす時にもスリングの掛け替えもいらず実にスムース。



まずは、美術館の前庭に石を置く。選ばず、悩まず、ひたすら石を吊り、降ろすのみ。





数個並んだだけで、石が語りだしてくるのが体感できる。通りすがる人たちも興味深げに見ていく。話しかけてくる人も多い。この石が吉田城以来の歴史を物語ることを理解すると、さらに興味深げに問いかけてくる。そのことが美術の理解へと直接結びつくのではないが一般の人々と語り合える切っ掛けとはなるのだろう。単なる自然石でもなく、美術家の自己表現の形でもない、石自体の魅力とその歴史の強さを、始まったばかりの展示で教えられる。結果が楽しみになってきた。



写真は昼食前のもの。昼一番で後二つ並べて前庭の石の配置は完了。この時点で公園緑地課から夜、公園を自転車で走る人が当たって転ばないか。そのための保安についてクレーム。
 私としては、計画のプランも図面も提出し許可を頂いての作業なのだから、展示が始まった途端にこの話はないよの心境。なかなか、難しいものです。それもなんとか収まり。順調に作業は続く。午後4時、本日の作業終了。並んだ石の回りに人が集まり。歴史談義が始まった。びっくりするほど、皆さんが興味を持つ。まだまだ面白いものが明日からは並ぶ。楽しみになってきた。
 沢山の応援の皆さんにきていただきありがとう。明日からも公開で制作しています。話しもはずみ、なかなか楽しい現場だと思いますよ。

▼2012-01-12 19:37
線庭日記 1/12



昨日展示したロビー。正面のガラスに石が映り込み池を越えて石が伸びている。



やはり昨日展示した後庭をギャラリーから見る。日本庭園の竹に石がなじんで美しい。



この美術館は動物園の跡地に建つ。おそらく、入口にあったのだろうペアのライオン像。左の像は顔が欠けているのだが、その方が像としての強さがあるか。作り過ぎた欠陥を自然の力がおぎなっているのだ。ライオンの後ろには蹲がある。どこかに日本庭園があったのだろう。展示して、水を張る予定。本当は館内で水の使用は許されないのだが、お願いしよう。



ライオンの設置。公立美術館ゆえの様々な問題、人の手による彫刻。歴史の残像、その全てをそのまま受け入れ、ひたすら並べることで全てが生かされ、私も生かされる。



午前中の最後の作業、中庭の前に蹲を据える。光が差し込めば、水が美しく見えるだろう。
 石を直接床に据えること、水の使用、ロビーやラウンジ、前庭、中庭、後庭での展示、などなどノ この美術館では始めてのことばかり。関係者の協力に感謝。今後の美術館使用の良き先駆となることを願う。



午前中の作業終了。午後は、後庭の前のスペースに展示。その報告は明日とする。
 美術館の各部屋は貸しギャラリーとして使用中。その横や前での搬入なので目障りらしく、ささいなトラブル。その根本の原因は豊橋の美術館の問題点の一つ、企画展示室と市民ギャラリースペースが分離していないことによる。そのため、企画展示と貸しギャラリー展示との違いが分からない方も多い。。一日も早い、市民ギャラリーの開設が望まれる。


▼2012-01-14 10:16
線庭日記 1/13

昨日の後庭前のギャラリーの展示。ギャラリーの受付で使用中でここだけは完成出来ない。



他のギャラリーで展示中に搬入するのも問題だが、やはり、企画展示の美術館と市民ギャラリーは別の施設にすべきである。市民や老人クラブの作品展と企画展が同居するのはどう考えても問題がある。作品を見る意識まで一緒くたにされそうで、これでは本来の美術を提示するのが難しいだろう。などと、今回の搬入には様々なことを考えさせられている。しかし、搬入そのものは面白く楽しい。そして順調だ。
 朝8時半より、他の展示室の邪魔にならないように(内心は、こちらは企画展の展示なのに、こんなに神経を使うのかと、少し不満。さらに内心は、それほどではないのだが、人には言って見たい時もある。)ハ開館前に段差のある中庭に機材の搬入。今回の人力作業でもっとも足場が悪く、その上段差があり、危険をともなう。細心の注意をはらって段取りをする。

ギャラリーから同じレベルの桟橋を出して



チェーンブロックで釣り上げ、その後桟橋を解体



下に用意した台車に降ろし 、砂利の上に敷いたコンパネの道を移動。三つ叉とチェーンブロックで再びつり上げセット。







手持ちの機材が、フル出演だ。こんな機材を持ち、肉体労働に励む人間が、これが終われば、コンマ何ミリの世界で、タイプフェイスのデザインをする。この落差は我ながら尋常ではないと思う。美術館で知り合いに出合うと、石の職人かと思ったら味岡さんではないですかと驚かれ、私を知らない人は間違いなく専門の職人と思うだろう。
 午前中に中庭の半分まで終了。残ったもう一匹のライオンも無事中庭に入ってくれた。午後からは残り半分の作業。さすが疲れる。2時間作業するともう耐えられない。休憩をたっぷり取って作業する。
 八角形の何かの台座のようなもの、何にしようしたのか、羽子板のような形に加工したもの、中庭には面白いものが多い。



心配していた中庭も順調に終了。中庭の中心に訳の分からない彫刻が鎮座しているのだが、それも気にせず、線庭の一部として、仲間はずれにもせず、心の広いところを見せた?。



美術館を貫き100mの石の列が貫き、全貌が見えてきた。最後に中庭のドアを閉め、その前に 礎石に使われたであろう今回の人力での搬入で最も重量のある石をセット。1トンのチェーンブロックの限界に近い。
 玄関の風除室の中にも礎石の一つを入れる。土の汚れがひどいので、見かねた学芸員の大野氏が水洗いを手伝ってくれる。



担当学芸員以外にも積極的に手伝って頂き、感謝。
 礎石の柱穴には水を入れることにする。その写真はまたのお楽しみ。今日の作業でおおよその配置は完了。明日は微調整をする予定。


▼2012-01-14 18:02
線庭日記 1/14

昨日までで搬入はほぼ終了。今日からは、細かな調整を一人で行う。





まだ微調整まえの前庭、子供が石の上に乗ったり、お婆さんが腰掛けにしたりと、会期前だが、すでに景色に溶け込んでいる。公園緑地課からクレーム。夜、危険だから点滅ランプの設置の要請。自転車に乗った人がぶつかるそうだ。屋外のインスタレーションは夜も展示時間だ。公園には庭園ライトもある、自転車にもライトは義務だろうと、一言いいたくなる。



今日の作業はバールで持ち上げ石をはさみ安定を取り、真っ直ぐに並ぶように調整。



ギャラリースペースで展示しているのだろうお年寄りが、聞こえよがしに「こういう作品は独りよがりになりがちなんだ」と、独りよがりな発言。「作品というのは独りよがりに決まっているだろ。あなたたちは仲良しグループでみんなで誉めあって楽しいでしょうね。」と言ってやりたいが、ここは大人になってぐっと我慢。



中庭に面して配置した蹲に水を試しに入れてみた。なかなか、いい感じ。



石を洗うために購入した高圧洗浄機が威力発揮。作品だけでなく、作品回りもおそらく開館以来の水洗い。良い会場になりそうだ。
 今回の展示で、美術館の使用の巾が広がってくれるといいのだが。明日は、最後の調整。長い展示もいよいよ終了だ。


▼2012-01-17 11:39
線庭日記 1/16

掲載を一日休んでしまった。それには理由がある。バールで石の微調整をしている時にヘルニアを再発してしまったのだ。一時は横になることも出来ず。只痛みに耐え、やや収まった時、夏目氏が様子を見に現れた。これぞ救いの神。彼の助けで最後まで残っていた石の搬入を終えることができた。



予約していた整体に直行。その時にはベットに上がるだけで悲鳴を上げていたのに、体をさわってもらい始めると先ほどの痛みが、嘘のように消え、なんとか歩けるまでに回復。帰宅し、体を休めることに専念。とてもブログの余裕はなかった。
 一週間、いろいろあったが、なんとか、美術館を貫き100mの列石が完成。美術館の過去、現在、そして未来へと繋がれとの思いを込めた。日本中の町や村が中央と地方の格差や、地域文化の崩壊にさらされ。地域の美術館もその波と無縁ではない。しかし、細くささやかだが一筋の道はできたと信じたい。













翌16日は地元の新聞社とケーブルテレビの取材が午前中。午後からは、サンセリテでの個展の飾り付けが待ち受けている。そして17日は同時オープン。
 それらの報告はまた明日。少しゆっくりしたいのだが、まだまだ休めそうもない。


▼2012-03-15 11:20
「Straight line あるいは線庭」記録集



「Straight line あるいは線庭」の記録集(カタログ)が完成。俳人星野昌彦氏の12,000字に及ぶ寄稿「五十八個の石」「Straight line あるいは線庭」の感想に始まり、芭蕉・蕪村・一茶そして正岡子規にいたる、星野氏の俳句の持論「ただごと俳句」へ。
「Straight line あるいは線庭」と俳句との共通性、そして、創作への熱い思い。芸術の「存在」「思想」「表現」へと話を深めていただいた。
 石たちは再び元の場に戻り、長い眠りについた。インスタレーションの一抹の寂しさは、会期が終われば、作品は姿を消してしまうこと。もちろん、再現はできる。しかし、おそらくそれは過ぎ去った時間が加わった違うものになる。よい形で記録に残すことができれば、過ぎ去った時間が、記憶に深みをもたらしてくれるだろう。


▼2012-05-01 09:55
単旋律を記す楽譜のように


「Straight line あるいは線庭」を観た高校一年生、16才の素晴らしい文章が豊橋市美術博物館友の会だより「風伯」に掲載されていた。この若さで、彼女は芸術を正しく理解している。この一事だけで、制作した意義があったと思わせるほどの、一文だった。


単旋律を記す楽譜のように 味岡伸太郎「Straight line あるいは線庭」 桜丘高校音楽科一年 小坂日菜子

私はしばしば元気をもらいたい時やリラックスしたい時に、CDや演奏会で音楽を聴くことがある。ドビッシーの輝くような音や、せせらぎのように流れるチャイコフスキーのメロディは、私にメ力モを与えてくれるような気がする。
私はこの作品を観たとき、それらと同じような感覚を覚えた。
豊橋市美術博物館の中を突っ切るように並べられた石の直線は、まるで単旋律を記す楽譜のようにも見えた。ぶれることなく、ただ真っ直ぐに並ぶ石。しかし、その石の中にひとつとして同じものはなかった。
以前、こんな話を聞いたことがある。
「音を演奏するだけでは“音楽”ではない。一つひとつの音符にそれぞれの思いがある。そのそれぞれ違う音符たちを、ひとつのフレーズにできたとき初めて“音楽”となる」
まさしくこれだった。音楽は私に“力”を与える。それはもしかしたら、音から“音楽”へ変わる瞬間に生まれるパワーのことではないか。そして、石から “アート”へ変わる瞬間。きっとこの瞬間が私に音楽と同じような感覚を与えたのだ。美術のセンスはまるでなく、美術作品など殆ど観たことがなかった私だ が、毎日接している音楽との共通点を私なりに見つけることができ、少し嬉しかった。
この直線の最後、林の手前には灰色の石が置いてあった。特別大きいとか、変わった形ではなかったと思う。あえて表すなら、素朴かつどこか威厳のある石だっ た。しかし、その一方で、まだまだその先に続いていきそうな雰囲気の漂う石でもあった。まるで、私たちを林の奥のアートの世界へ誘うように。
もしあなたが林の前で立ち止まっているなら、是非その奥に入ってほしい。アートは決して縁遠いものではなく、きっとあなたに“力"を与えてくれるから。
(豊橋市美術博物館友の会だより 2012年 春号 Vol.82 風伯より転載)

小坂日菜子さんの名前は、いつまでも記憶にとどめておこう。いつの日にか、この名前でのコンサートがあるだろう。この感受性がどのように開花するのかそれが今から楽しみである。