▼2010-11-08 20:26 アトリエ展[湯谷の家] 豊橋のギャラリーサンセリテでの個展会期中に、旧鳳来町湯谷温泉のアトリエで一日だけの展示。始まりつつある紅葉が、板敷川を流れる水面に映り、木々の中に点々と配置した作品が、いつもと違う表情を見せていた。 開場前から人が姿を見せ、囲炉裏の炭火の前には、終日切れ間なく人が集まっていた。 炭火でじっくり炙った五平餅。抹茶に栗きんとん。時がたつうち、初めは和菓子の手土産も、地酒に変わるが、肴は銀杏しかない。それでも、肌寒くなり人恋しいころ、炎の暖かさに思わず手をかざす。 日が暮れ、片付けも終わり、温泉で疲れを癒やし、一路、豊橋で待ち合わせの居酒屋へ。久しぶりに缶詰の秋刀魚を暖め、ぬる燗で一杯。チキンラーメンで有終の美。懐かしさと秋を満喫した一日だった ▼2011-02-14 10:27 寄稿 〈景象86号〉表紙の言葉 景象37号の表紙の言葉で、比重の少ない軽石と普通の石を重りに使った、腕の長さの違う弥次郎兵衛について次のように書いた。 「ある会議に出席の為北海道に出掛けた。帰りに支笏湖に寄った。肌寒い湖畔を歩き、ふと目に入った石。手にして見るとそれは湖創生の頃の軽石だった。弥次郎兵衛を作った記憶は誰にでもあるだろう。手の長さと、重りの大きさをほぼ同じにすると釣り合う。比重の少ない軽石と比重約2.5の普通の石を重りに使うと どうなるか。手の長さの違う弥次郎兵衛が出来上がる。帰りの飛行機の中でもその事ばかり考えて、豊川に石を求めて作ってみた。 スーパーに行けば手に入る風呂用品としての軽石は私も知っていた。しかし、自然の軽石であってもそれは私にとってシステムに組み入れられた工業製品でしかなかった。支笏湖での出会いは単に軽石という素材を知った事ではなく、リアリティーを持った形で「知る」ことの意味を教えてくれた貴重な旅となった。(以下略)」 今号は、片方は石を重りに、もう片方には石の重りを乗せずに長さを延ばしていく。すると、腕全体の長さ(重さ)と石の重さがどこかで釣り合う。支点に近づけて、重りを置くと、腕は長く延びる。前回の弥次郎兵衛の重りは支笏湖の軽石と豊川の石を使ったが、今回は、湯谷温泉近くに昨年入手した、ささやかなアトリエの前を流れる豊川の支流、宇連川の石を使っている。 立体の仕事はアトリエで図面を描いて、それに基づき材料を用意して制作したものと、現場で得られた材料を使用したものでは、その結果が大きく違う。今回使用した石の表面は、永い間河原に露出していたため苔生し、形状よりも必要な重さを重視して選ぶため、単独に石を求めた場合にはおそらく選ぶことのない形をしている。 制作にあたり、私は「考えない・時間をかけない・直さない」をモットーにし、作品の「プラン」と制作の「手順」とその結果の「形」が同時に頭に浮かんだ場合にだけ手を動かす。やむを得ず直後に取りかかれない場合でも、さらに完成度を上げようとは一切考えない。 私にとって作品は推敲の結果ではない。少し気取って言えば「一期一会の出会いの結果」である。 アトリエ改装の余り木と、その土地ならではの石と、新しい住民の戯れが、露地の石畳の傍らで訪れる客人を迎えている。 敬愛する俳人星野昌彦氏の俳句同人誌「景象」の寄稿が始まったのは35号だった。そして、37号で支笏湖と豊川の弥次郎兵衛を書き、86号で豊川の支流宇連川の石を使った弥次郎兵衛を書いた。書き終えるまで、気がつかなかったが、それから、50号目になる。1年で4号だから、13年が過ぎている。つくづく代わり映えのしないことを続けているものだ。と、呆れつつ、同じようなプランで僅かな違いしかないが、それぞれが新しい出会いの形であり、この僅かな変化を結果の形として提示するには、10年という時間が、私には必要だった。