組成=システム

私が味岡伸太郎を知ったのは、「1/2+1/4+1/8+1/16+1/32+1/32=1」という作品からである。唐突すぎて、どんな作品か解りにくいと思うので、少し説明すると、まず一本の木を半分に切り、又それを半分にという割合で、前述の様にカットをし、それを再構成した作品である。私はその時、紙に打ちおろしたするどい筆跡を、その作品に見たように記憶している。
 彼は立体作品に入る前、毎日墨筆で点を打つ作業を繰り返した。その内に紙はほとんど黒一色におおわれ、次第に平面作品も、墨色の中へ 埋没されていった様に思われる。
 毎日同じ間隔で筆を下ろしていく作業は、作為をこえ、やり直しはない。筆を置いた瞬間に決まる。
 味岡の制作、組成=システムの出発点ではなかろうか……。
 二度目の双ギャラリーの個展において、味岡は、公園で集めた枝を、画廊の床を紙に見立て、枝を、選ぶ事なくシステマティックに置いていく制作をした。自分の意志はなるべく排除する。紙に墨をおく作業、システムという味岡の方向性が私には明確に見えて来た。
 今夏の富士山麓、豊成の作品は、システム構成の密度が一歩進んだ様だ。
 大地から土を堀おこし、その土を個々に分類するために、ふるいにかける。分類された土を、等間隔に穴の前に並べる。日本の象徴ともいえる富士山を借景に見立て、四季の変化というという、システマティックに動いていく自然の営みをも、システムという作業の中に取り込んで見せてくれた様に思う。
 大地から取り出した土は、各々協合する事を止め、無機質な土の塊りとなる。会期が終り、大地に戻された土の塊りはすぐに一つになり、豊穰な大地になる。
 人間、いや大地に生まれて生命あるもの全て、場、状況を選び取る事は出来ない。運命という「ふるい」にかけられ、自分はここにある……。そして生の営みを終えて大地に戻り、土と一体化し、新らたな生命体を生み出す力になってゆく。
 豊成の大地に開いた穴と、暮れゆく富士の裾野を見やりながら、20世紀の終焉の時期、この日本の、又この地に生きている自分の存在をも、改めて考える時、作品と共有する事が出来た。

双ギャラリー 塚本豊子