解、あるいは風土記抄出 播磨、淡路よりの報告


ここ数年土を使う仕事が続いている。何故土を使うのか。一言で言えば、同じ土が無いことに因る。もちろん、同じ場所で採取すれば再びよく似た土を手に入れることは可能である。私が言おうとしているのはそのことではない。同じ土が無いこと、言い変えれば、常に初めてその土を使用することである。つまりその土が書くこと(drawing)にどのような影響、あるいは結果をもたらすのか、書き終るまで私には分からないということである。通常の絵画であるならば、描く以前に結果への明確なイメージが存在する。ところが私の場合、結果は土に私を委ねることで実現する。
 土は美術の素材という観点で非常に巾広い可能性を持つ。例えば、含まれる水の量を徐徐に増やしていった時、まず粘土状となり可塑性を持ち、立体物の成形が可能となる。乾かせば可塑性を失い、例えば日干しレンガのような相当な強度を持つ魂となる。さらに熱を加え結晶水までも無くしてしまえば、その温度により順次、土器・須恵器・陶磁器となる。水の量を増やしていくと、ペースト状となり、絵の具として自由に描くことも可能である。
 さらに、土に含まれる主に鉄の働きにより、土はさまざまな色彩を持っている。その為、時に色を持つ土は精選され、顔料として絵画の世界でも使用される伝統的素材の一つである。水の替わりに、使われる接着材の種類により、日本画・油絵・水彩画等と呼ばれているのは周知の事実である。
 そのような土の持つ全ての可能性と比較しても土は書くまで結果が分からないという事実が私にはより重要である。したがって、どの土も書くのは一度切りである。土を木工用ボンドで練った後、試し塗りや練習をすることもない。反対に色彩を自由にコントロールする為、あるいは誰にでも簡単に色彩が利用できる状態に用意されたものが絵の具である。私には、そのような絵の具を使う機会はないだろう。
 今回の夢創館の仕事の為に、淡路島の北淡町と神戸の東灘区で土を採取した。瀬戸内海沿岸は古くから花崗岩の産地である。彫刻に使われている花崗岩の別名、御影石は神戸市東灘区の御影の名にちなんでいると聞く。花崗岩の産地の地層は通常、砂婆という花崗岩の風化物に覆われている。一般的に他の地区の地層と比して色彩の変化には乏しい。現にこの数年の間に枚方、広島、高松、徳島そして今回の淡路島、神戸と採取した全てがやや黄味のある砂婆である。
 私の土による仕事は、色彩が目的でもなく、その素材感が目的でもない。人の手が以前に加えられていない限り、殆どどのような地層でもかまわない。特別な土を求めている理由でもなく、さりとて採取する土地に意味を見い出している理由でもない。瀬戸内海沿岸からは、私の住む愛知県東三河地方のように、鮮やかで濃い赤を始めとした豊かな色彩は簡単には見つから無いと頭では理解している。しかし、そのように納得しているのは私の半分の理性であって、残る半分の理性はそれでも何か面白い土は無いかと常に探している。
 このように整合性も脈絡もなく、自己の内部に矛盾を抱えつつ、右に振れ、左に傾きつつ歩むというのが私を含めた大方の人間なのだろう。つくづく人間というのはやっかいな代物である。
 土を使って書くという行為そのものに、新鮮な出会いや、緊張感を求めていると同様に、土を採取する行為もまた、いまだ知らない世界への憧れとでもいう素朴で、普遍的な欲望である。その他愛ない望みが続く限り、しばらくは土との関係が続けられる。

味岡伸太郎